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地震と豪雨から考える、大阪で進む「分断」と「衰退」

投資をケチり続けた日本を象徴する光景
地震に豪雨、日本を立て続けに災害が襲っている。目を引くのは、地域や住む場所によって、災害による被害の程度が大きく異なることだ。当然のことと考えられるかもしれない。しかし、「国民は平等である」という建前で運営されている「国家」の内部で、大きな格差が生まれることを放っておいていいのか。
6月に発生した大阪北部地震は、こうした文脈のなかで「大阪という都市圏」について考える一つのキッカケとなった。何より目を向けるべきは、災害がこの街を襲う際に浮き彫りになるであろう「被害の不平等」だ。すなわち、均質な人々が集住する安心の空間・郊外と、インナーシティ(旧都市周辺部)との間の不平等である。

その不平等の向こう側に浮かび上がってくるのは、国家や自治体が「財政健全化」という大義名分のもとに、公共投資から撤退してきた事実だ。そして現在、大阪はさらにその動きを推し進めている。生活のあらゆる場面で人々に対して「金を出せ」と迫る「課金都市」になりつつあるのだ--。

「大阪」には亀裂が走っている。大地の下を東西、そして南北に走るこれらの裂け目は、古くもあり、また新しくもある。私たちはそれを知りながら、気づかないふりをして日々の生活を送っている。

「大阪北部は揺れない」という先入観

6月18日の朝、「大阪」を襲った最大震度6弱の揺れが、淀川と大和川というふたつの大きな河川を越え、遠く離れた、やはり「大阪」に住む私の家を揺らした。

いつもよりいくらか強く、そして長い揺れだった。直感的に、震源は遠くの方かもしれないという気がした。妻はテレビをつけてというと、さっき家を出たばかりの下の子のあとを追った。慌ててつけたテレビは震源が高槻、淀川の北であること、そして震度が6弱であることを繰り返していた。

私はこの地震が北大阪、北摂と呼ばれる地域を震源としていたことに、いくらか意外の念を抱いてしまった。つまり、そこが揺れるはずはないと考えていたということだ。

阪急の職員による線路の復旧活動(photo by gettyimages)

北摂とは、大阪の北部に広がる郊外地域であり、ミドルとアッパーミドルの暮らす街である。新幹線、JR、そして阪急が走るこの地域は神戸から京都に至る中間地点でもある。阪神淡路の大震災以来、この地域を走る有馬−高槻断層の危険は、何度か指摘されてきたはずだ。

しかし、もし大阪が揺れるのであれば、南海、もしくは東南海の地震か、大阪を南北に走る上町断層が揺れる、私は自分がそう決めつけていたことに気がついた。だが東日本大震災と同様に今回も地震は都市の後背地を襲い、やはり今日の都市圏の脆弱性を明らかにした。

 

地震が明らかにした都市と「移動」の関係

月曜朝の8時台という、すでに通勤、通学が始まっていた時間帯に起きたということもあって、当初から、人びとの関心は都市機能の麻痺に向けられていた。都市は、物資の集積地として生まれ、その消費の場所として成長した。それはなによりもまず物流の結節点である。

郊外化が進んだ今日の大都市圏は、いっそう大規模で、絶え間のない物流のネットワークの上に成立している。道路、橋、鉄道、さらには電気、ガス、上下水道。通信のネットワークはいうまでもない。

SNSを通じて拡散された道路から吹き出る水流のイメージは、普段は隠されている都市の下部構造の存在をわたしたちに指し示し、それがいままさに危機に晒されていることを告げていた。

私たちもまた物流の一部だ。私たちは通学や通勤の電車に揺られ、数十キロ、ときには百キロ以上の移動を日々繰りかえす物体でもある。物流の停止によって、それはターミナルの駅で滞留し、車内から、そしてホームからあふれ出す。

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こうして私たちは「帰宅困難者」となるが、役割と居場所を失い、都市の玄関口に滞留したそれは、「移動困難物」と称したほうが実情には合っている。

その役割とは多くの場合、サービス労働であって、いまや自営業者さえもが「通勤」することは珍しくない。その結果、郊外都市における純粋な定住民とは、就学期の児童と老人、そしていまや絶滅危惧種とされる主婦といった、いわゆる非−労働力がその大半を占めることになる。

今日、都市圏、とりわけ郊外における定住には、移動が本質的な要素として含まれているということである。それらは同じひとつの生のふたつの顔である。