ルイ・ヴィトンが史上初の「アフリカ系デザイナー」を大抜擢した理由

ラグジュアリービジネスの変革が始まる
長沢 伸也 プロフィール

その最大の狙いは、顧客の世代交代だろう。

ラグジュアリーブランドの起源は、王侯貴族の「御用達」であることが多い。しかし、身分制がない現代ではそうした特権階級は激減し、ラグジュアリーは民主化された。

とはいえ、ラグジュアリーブランドは高価なため、これまで顧客の中心は中高年の富裕層だった。そうした既存顧客ばかりを見ていると、当座は大丈夫かもしれないが、30年後には顧客がいなくなってしまう。近未来の顧客は、現在の若者に他ならないのだ。

 

アブローの起用については、表面的な話題性ばかりが注目されているが、本質的には現代性と若い潜在顧客の取り込みが狙いであると考えられる。

なお、アブローの担当分野がメンズに限られていることには留意したい。

ルイ・ヴィトンの売上高および売上構成は非公表だが、当然のことながら鞄が主力であり、メンズ&レディス衣類の占める割合は全体の10%に満たないと推測される。メンズウェアに限れば、たかだか数パーセントであろう。失敗するリスクを承知で大胆なイメージ刷新に挑戦するには、メンズウェアは最適なのである。

「デザイナー」とは何か?

アブローの手腕に関して、ファッションを正式に学んでいないことが、注目ないしは懸念される一因となっている。だが、現代のファッション界においては、専門教育を受けていないことや、自身で服が縫えないことは大きな問題ではない。

ラルフローレンのレイフ・リフシッツ(彼の本名)など、同様のバックボーンであってもクリエイティブ・ディレクターとして成功する例はある。彼の場合はファッション画さえ苦手で、自身を「デザイナーではなくコンセプターだ」とインタビューで回答していたくらいである。

また、極論になるが、ビッグメゾンであれば、クリエーションチームがしっかりしているので、デザイナーは最悪「お飾り」や「人寄せパンダ」でもよい。

アトリエにはチーフ(主任)デザイナーの下に相当数のデザイナーやアシスタントデザイナーがおり、デザイナーが辞任、解任、死亡等により突然不在になっても、かなりの程度はチームでクリエーションできる。2011年にディオールのデザイナーを務めていたジョン・ガリアーノが差別発言で突如解任された際にも、ディオールのパリ・コレクションは予定通り披露された。

筆者はローマ郊外にある「フェンディ」のファー(毛皮)アトリエを見学したことがあるが、チーフデザイナーであるカール・ラガーフェルドのデザイン画が「殴り描き」や「ポンチ絵」のごとく、あまりにもラフで驚いた。

「どうしてこんなスケッチから実物が制作できるのか」と尋ねたところ、「カールの意図を汲んでデザイナーが描き込み、パタンナーがパターンを展開して職人が縫製するので問題ない」という。アトリエのチームがしっかりしているから、カールは世界を飛び回りながら「フェンディ」や「シャネル」のおびただしい回数のコレクションをこなすことが出来るのだ、と納得した。

84歳を迎えたカール・ラガーフェルド(Photo by gettyimages)

最近は女優やタレント、果てはインスタグラマーがブランドを立ち上げることがある。これも背後にスポンサーがいて、制作体制が整っていなければ不可能だ。したがって、ブランドのデザイン責任者が服飾のプロでないことは、今日のファッションビジネスでは珍しくない。

アブローは自身のブランドを持っているので、「お飾り」というほどひどくはないし、ファッションをディレクションするセンスやクリエイティビティは優れていて、実績もある。しかもルイ・ヴィトンの出自は鞄である。マーク・ジェイコブスをアーティスティックディレクターに起用し、ファッションビジネスに乗り出したのは1997年からだ。自身で服が縫えるに越したことはないものの、アブローがファッションデザインの専門家でないことは大きな問題ではないだろう。