昼食を食べに職員食堂へ行った。その日の料理はビビンバ、餃子、野菜のおひたしとヨーグルトだった。私は餃子のタレを作ろうと思い、小皿に醤油とお酢を入れようとした。お酢の入ったボトルはポンプ式のような形状をしており、頭の部分には「おす」と書かれていた。
「ここを押せばお酢がピュッと出るんだな」
と思って押した。だが出ない、いや押せない。「おかしいなぁ」と思いながらさらに強く押すのだがびくともしない。
何度もトライしていると、厨房のおばちゃんが首を伸ばして言った。
「先生、それ『押す』じゃなくて『お酢』なのよ。普通に傾ければ出るわよ」
……読み間違いだったのか、トホホ。
ぶつぶつ独り言を言っていたら、私はあることを思い出した。その前に補足説明を。
ここにミネラルウォーターが入った500mlのペットボトルがあるとする。貼り紙もカバーもなく、ただ透明な水の入った裸のプラスチック・ボトルがあると思っていただきたい。
私が、このボトルに食塩を混ぜ、マジックで「食塩小さじ1杯」と手書きしたとする。これを見た人は、
「あ~、この水の中には塩分が入っているんだなぁ」
とイメージするだろう。
では、食塩ではなく、「ささきじろう」と書いてあったらどうだろう?これを見た人は、
「あ~、次郎ちゃんのボトルなんだな」
と人の名前を思い浮かべるはずである。
実は、昔の点滴も似たようなものだった。現在では、パソコン入力してプリントされたシールが貼られるが、昔は手書きだった。
まず、透明な点滴用の水分が入ったボトルに、患者さんの名前をマジックで書く(例:佐々木次郎様)。
次に、医師が指示した薬を注入したら、何がボトルに入っているのか、患者名の下にマジックで追加記載していく(例:ビタミンC(100 mg)1A、※A=アンプル)。
点滴というのは水分補給が第一の目的で、そこに作用させたい薬を混ぜて作る。薬を混ぜる前の点滴用の水分を「本体」という。この「本体」に調味料のように医師が混ぜるべき薬の指示を出す。これらの薬をこの業界では「おかず」と呼んでいる。
「点滴の準備をしてください」
と医者が言うと、看護師はこう尋ねる。
「『おかず』はどうしますか?」
確認の後、指示された痰を切る薬や止血剤、気管支拡張薬などを本体に混ぜる。
点滴は病院のいたることころで使われている。手術室は時間当たりの点滴の消費量が最も多いところだろう。手術の際は、水分補給が重要なので、「おかず」は用いないことが多い。ただし、「おかず」を入れた場合は、前述したように一つ一つ書いていく。
全く「おかず」が入っていない水分だけの点滴本体を、この業界では「たんみ」と呼んでいる。漢字では「単身」「単味」と書くらしいのだが、定かではない。指示を出すと、看護師は次のように再確認する。
「『おかず』なしの『たんみ』でいいんですね?」