ラッパー宇多丸と民俗学者が語り合う「日本語ラップの思想と可能性」

NHKで異色トークが放映!
畑中 章宏 プロフィール

日本語ラップの誕生

1980年代に入ると、Run-D.M.C、ビースティー・ボーイズ、パブリック・エナミーらが登場、ミュージックビデオの普及も相まって、幅広い人気を獲得していった。

なかでも86年、Run-D.M.C.がエアロスミスの名曲をカバーした「ウォーク・ディス・ウェイ」が大ヒット。

このカバーではエアロスミスからボーカルのスティーヴン・タイラー、ギターのジョー・ペリーがレコーディングに参加。ミュージック・ビデオにも出演している。

日本でもこれと相前後する1985年、高木完と藤原ヒロシがヒップホップグループ、タイニー・パンクスを結成し、いとうせいこうのプロデュースで、日本における最初期の本格ヒップホップと言われている「業界こんなもんだラップ」を収録したアルバム『業界くん物語』を発売した。

翌年には、近田春夫がPresident BPM名義でラップ12インチシングル「MASS COMMUNICATION BREAKDOWN」を発売した。これが日本におけるヒップホップ、日本語ラップの黎明期といえるだろう。

ヒップホップの基本は、DJによるブレイクビーツと、ラップをとりいれたMCのリリックからなる。

リリックの内容は、ヒップホップミュージック発生の歴史から、他のポピュラー音楽と比較しても、かなりメッセージ性が強いものが多い。

貧困や労苦、差別に対する怒りや絶望、自らがおかれた状況への不満を、ラップにのせて訴えるのだ。

社会的冷遇から抜け出ようという意思や野心が、暴力性や女性蔑視を抱え込むこともあった。

 

ヒップホップという“民俗”

こうしたヒップホップ、ラップのもつ背景は、民俗学者としてははなだ興味を惹かれるものであった。

『夜這いの民俗学』などの著作で知られる民俗学者赤松啓介は、日本の「民謡」はほんらいは単に、「うた」と呼ばれていたものであり、そうした「うた」のほとんどは、労働歌か猥歌だと指摘していた(『民謡・猥歌の民俗学』)。

またヒップホップや日本語ラップに詳しい知人友人にリサーチしたところ、「ヒップホップは、ジャーナリズムとしての側面をもつこと」(前「WIRED」日本版編集長の若林恵氏)、「日本語ラップのなかには、地方都市の現状を方言でうたう“ローカリティ”に根差したものもあること」(「ジモコロ」編集長の徳谷柿次郎氏)といった貴重な情報も得られた。

たとえば、ヒップホップの社会的メッセージとエンターテインメントとの融合は、明治時代に大衆の過酷を「演歌」と称して歌にした添田唖蝉坊(あぜんぼう)と、その子の添田知道らの仕事と共通する部分があるのではないか。

一方で、ヒップホップは階層や地域性にとらわれるものなのか、リリックは個人の主張なのか共同体の声なのかといったことも、宇多丸氏に質問したいことだった。

また過去のヒット曲、マイナー曲のブレイクビーツ、間奏からの引用は、民俗学があつかう「民間伝承」に類似してはいないか。

民俗の記憶とは、これまで口頭で伝承されてきた膨大な“語り”が蓄積してきたものである。

そして民俗学は、記録に残らない過去の語りから、さまざまな知見を導き出す、思想であり方法なのである。