国民的飲み物・カルピスの「壮絶誕生秘話」~今日はカルピスの誕生日

創業者がモンゴルで出会った味
山川 徹 プロフィール

最初は「カルピル」だった

その反応をみた遊牧民は、「そうじゃないんだ」とばかりにジョウヒの入った椀を私から取り、砂糖と煎った粟を入れ、豪快に掻き混ぜた。するとまるで味が変わった。

甘みが増し、粟の歯ごたえが絶妙なアクセントにもなる。素朴ながらも味わい深いスイーツに一変した。三島も雑誌のインタビューで、はじめて食べた乳製品(おそらくジョウヒ)に砂糖を混ぜたと語っている。私は「初恋の味」の原点にようやく辿り着いた思いがした。

乳製品を食べ続けた三島は、不眠と頭痛が治り、体調がよくなったと実感する。そして、この未知なる味をいつか日本人にも味わってもらいたいと考えるようになる。

 

さて、清朝崩壊の影響で事業継続が困難になった三島が帰国したのは1915年。無一文になった三島は、モンゴル乳製品の商品化に取りかかる。

そして4年間の試行錯誤の末、1919年の7月7日にカルピスが誕生する。それは、青春を賭けた冒険と遊牧民との親交が生んだ、三島の分身ともいえる商品となる。

経営の柱をカルピスに定めた三島は、経営の多角化、多商品化を好まずに一社一品主義を貫いた。また彼は日本一主義という経営手法を掲げた。

何かを決断するときはその道の第一人者にアドバイスを仰ぐというシンプルかつ、効率的な仕事の流儀である。

たとえば、カルピス命名を巡るエピソードだ。当初、三島はカルピスではなく「カルピル」という名で売りだそうと考えていた。

「カルピル」のカルはカルシウムの「カル」、「ピル」は仏教の言葉で最高の教えを意味するサルピルマンダ。しかしカルピルではどうにも歯切れが悪い。そこで、カルピスはどうかと思い立つ。
 
意見を求めたのが、「あかとんぼ」の作曲家の山田耕筰だった。「カルピスは響きがいい。音声学的に見てもいいですよ」とのお墨付きをえる。