カルピス創業者の三島海雲氏。三島海雲記念財団提供

国民的飲み物・カルピスの「壮絶誕生秘話」~今日はカルピスの誕生日

創業者がモンゴルで出会った味
2018年7月7日。今日が何の日か、ご存じだろうか。
1919年の七夕、日本で初の乳酸菌飲料が誕生した。そう、7月7日は、あのカルピスの誕生日なのである。「初恋の味」と親しまれ、99%の日本人が飲んだ経験を持つという調査もあるほど、我々の暮らしにカルピスは浸透している。では、その国民飲料は、一体どこで生まれたのだろうか。
それはモンゴル高原。いまから約100年前、1人の日本人青年がその地を踏んだ。青年の名前を三島海雲という。後のカルピス社の創業者となる男の数奇な生涯を、ノンフィクションライター・山川徹氏が綴る。

なぜ創業者はモンゴルを目指したのか

三島は1878年に現在の大阪府箕面市の貧乏寺で生まれた。しかし彼は僧侶でありながら寺を継がず、海を渡る。当時、中国大陸は青年たちの夢をかき立てるフロンティアだった。

北京に到着した24歳の三島は、日本語教師となり、清国人に日本語や数学、地理などを教えはじめる。

時代が大きく変転しようとするさなかだった。当時、朝鮮や満州の支配権をめぐって日本はロシアと対立していたのだ。

 

1904年2月、日露戦争がはじまると日本帝国陸軍の軍馬が不足した。日本からの輸入雑貨を扱う行商会社を立ち上げていた三島は、陸軍から軍馬調達の依頼を受ける。しかし満洲の軍馬は、大倉財閥や三井財閥などが買い占めていた。

いまで言えば、当時の三島は経済力も人脈も持たない1人の若きベンチャー起業家に過ぎない。大手財閥の影響が強い満洲ではとても勝ち目がない。間隙を縫うのが、弱者の戦略のセオリーだ。

では、どこに向かうか。三島が目を付けたのは、地図もなかった大陸の空白地帯。そこが、モンゴル高原だったのである。