三島は1878年に現在の大阪府箕面市の貧乏寺で生まれた。しかし彼は僧侶でありながら寺を継がず、海を渡る。当時、中国大陸は青年たちの夢をかき立てるフロンティアだった。
北京に到着した24歳の三島は、日本語教師となり、清国人に日本語や数学、地理などを教えはじめる。
時代が大きく変転しようとするさなかだった。当時、朝鮮や満州の支配権をめぐって日本はロシアと対立していたのだ。
1904年2月、日露戦争がはじまると日本帝国陸軍の軍馬が不足した。日本からの輸入雑貨を扱う行商会社を立ち上げていた三島は、陸軍から軍馬調達の依頼を受ける。しかし満洲の軍馬は、大倉財閥や三井財閥などが買い占めていた。
いまで言えば、当時の三島は経済力も人脈も持たない1人の若きベンチャー起業家に過ぎない。大手財閥の影響が強い満洲ではとても勝ち目がない。間隙を縫うのが、弱者の戦略のセオリーだ。
では、どこに向かうか。三島が目を付けたのは、地図もなかった大陸の空白地帯。そこが、モンゴル高原だったのである。