「政経学部」入試で数学が必須に...早稲田の狙いが分かった

気持ちはわかるが、ちょっと心配
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広末入学あたりが転機

今回の政経の入試改革の背景には、この30年間で進行し、いま加速している、早稲田の大きな「変心」がある。

そもそも、かつての早稲田の学生といえば、講義にはほとんど出席しない。雀荘に入り浸り、夜は高田馬場の居酒屋で安酒を飲むというバンカラ気質を誇りにしてきた。

早稲田大学名誉教授の吉村作治氏が自身の学生時代を振り返る。

「私が学生だった'60年代には、大学近辺に50軒ぐらいの雀荘があって、そこから通ったり、下宿を引き払って住んでいる奴までいた。

『代返屋』というのもいましたね。授業で、出席していない奴に代わって返事をするんですよ。

30人ぐらいが登録している授業で、教室には20人ほどしかいないのに、先生が出欠を取るとなぜか30人全員から返事がくる(笑)。先生もおかしいなあという顔はするんですが、とやかくは言いません。

当時の早稲田の学生はみんな良い意味で勝手気ままで、自分がやりたいと思うことをただひたすらやっていた。他人の目は気にしない。これが早稲田の気風だったんです」

 

第二文学部などの夜間学部を始めとして、多様な人材が集まっていた。そこから、タモリや吉永小百合など、多くの俳優、タレント、文化人を輩出してきたのは知られた話だろう。

自由さ、多様さ、そして同調圧力の無さこそが、早稲田だったのだ。しかし、時代とともにそんな雰囲気も一変する。前出・オバタ氏が話す。

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「私は'99年から『大学図鑑!』という書籍を毎年出版していて、毎春キャンパスに取材に行っています。'99年頃の早稲田には、まだかろうじて学生や大学にバンカラな雰囲気が残っていました。

その空気は、2000年代に薄れ、2010年代には消滅したという印象です。'99年はちょうど広末涼子さんが教育学部に『自己推薦入試』で入学して話題になった年です。

'90年代までは、見た目だけで、その学生が早稲田か慶應か、7~8割ほどの確率でわかりました。いまは見た目だけではまずわからなくなりましたね。

最近、早稲田の学生たちと話す時、『バンカラ』という言葉を使ってみるのですが、みなさん『え?』と言葉が止まる。いまの早稲田の現役生の多くは『バンカラ』という言葉の意味すらわからなくなっているんです」