映画『ハン・ソロ』はスター・ウォーズ「原点回帰」の娯楽活劇だ

小難しいことは言わずに
中川 右介 プロフィール

主人公が生き延びるだけなら、007やミッション・インポッシブルも同じだが、『ハン・ソロ』には、多くの「先が読める出来事」が存在している。

それは、戦国ものでは、信長が本能寺の変で死ぬことを、関ヶ原の合戦では家康が勝つことを、幕末ものでは、薩摩と長州は最後には手を結ぶことを、徳川幕府は倒されることを、「忠臣蔵」の物語では討ち入りが成功することを知っているのと同じだ。

そのみんなが知っている結末に向かうプロセスを知りたくて、見に行く。

そのプロセスが、観客が頭のなかで勝手に描いている物語と整合性が取れていれば、なんてすばらしい映画だとなるし、ちょっとでも齟齬があると、「この監督は分かっていない」「なんだ、この演技は」というバッシングになる。

ハン・ソロは、日本史でたとえれば坂本龍馬みたいな存在といえるだろう。重要な役割を果たすけど、あくまでアウトローであり、新政府の重要な役職につかない。歴史の表舞台にはいない人だ。

アメリカの場合、「誰もが知っている歴史」はそんなに長くないので、フィクションがその代わりをしているのだ、とこういう解釈もできる。

だが見ている間は、深く考えず、「ああ、こういうことだったのか」と単純に楽しんだ。

『スター・ウォーズ』はいくらでも深読みが可能なように作られている。

帝国をめぐってはいくらでも「政治」として語れるし、「父と子」の対立を軸とした家族論も語れるし、メカからのアプローチもできるし、生態系や環境についても語れるし、神話の構造論も重要なテーマになる。弱いのは男女関係くらいだ。

そういう深読みを楽しむには、『ハン・ソロ』は表面的かもしれない。

だが、小難しい映画が主流となり、興行的に低迷していた1970年代半ばのハリウッドに、突如として現れた時代錯誤の単純明快な娯楽活劇が『スター・ウォーズ』の原点だった。

『スター・ウォーズ』そのものが、物語としてもいろいろなものを背負ってしまい、難解な映画になりつつあるなか、原点回帰の娯楽活劇として『ハン・ソロ』が登場したわけだから、小難しいことは言わずに楽しめばいいし、深読み、裏読み、ネタ探しをしたい人にもそれなりに楽しめるだろう。

「興行的に苦戦」というノイズは無視して、ご一見あれ。