映画『ハン・ソロ』はスター・ウォーズ「原点回帰」の娯楽活劇だ

小難しいことは言わずに
中川 右介 プロフィール

日本人は「ハン・ソロ」という語に意味は感じない。しかし英語圏の人々にとっては『SOLO』というタイトルは「ひとり」として認識される。あの「ハン・ソロ」のことだと分かっていたとしても、「ひとり」あるいは「孤独」という意味のタイトルなので、退いてしまったのかもしれない。

けっこうタイトルの語感は大事なのだ。

興行苦戦の理由は

シリーズものの続編、スピンオフは、シリーズをよく知らない人とマニアの両方が楽しめるようにしなければいけないのが、難しいところだ。

あまりに初心者に丁寧だと、マニアックなファンは「馬鹿にするな」と怒る。といって、マニアは声こそ大きいが数は少ないので、マニアのために作ると興行成績は悪くなる。

このさじ加減こそが監督やプロデューサーの腕の見せ所だ。

『ハン・ソロ』は、過去の『スター・ウォーズ』を知らなくても楽しめるように作られている。

「世界」は同じだが、ストーリーは過去の作品とほとんどつながりがない、まさにスピンオフだ。しかし過去の作品を知っていればいるほど面白いセリフや小道具もある。

『スター・ウォーズ』の場合、基本的な設定は、いまや全人類が知っていると言ってもいいほど「説明不要」のはずだ。

その自信ゆえに、『ハン・ソロ』でもほとんど背景の説明はない。

そのことがマイナスになっているのだろうか。

考えてみれば、贅沢というか、『スター・ウォーズ』以外にはほとんど不可能な企画である。

単独の新しい作品で、ストーリーの背景となる「世界」を、地球とはまったく別の世界に設定したら、最初の20分くらいをかけてその説明をしなければならないだろう。

NHKの大河ドラマだって第一回は、主人公が生きる時代の説明や、生まれた場所や身分、家族の紹介に費やされる。現代を舞台にした連続ドラマも、同じようなものだ。

 

しかし『ハン・ソロ』はそういう説明は、冒頭の毎度おなじみの「A long time ago,in a galaxy far,far away...(遠い昔。遥か彼方の銀河系で)」だけで、「あとはもう説明しないからね」という態度で作られている。

こんなことが通用するのは、他にあるだろうか。

この不親切さがファンには心地よいわけだが、初めて『スター・ウォーズ』を見る人は戸惑うのかもしれない。

だが、それが興行の苦戦の理由とも思えない。

みんなが知っている結末

昨年12月公開のエピソード8を、私は楽しんだが、賛否両論というか、悪評もかなりあった。それが『ハン・ソロ』の興行成績にも響いたというのは、説得力がある。

エピソード7も、8も、観客としては「先の読めない物語」だった。普通の映画ならばお約束である「ヒーローは不死身」説が、あっさりと否定され、7ではハン・ソロが、8ではルークが殺されてしまう。これを「お約束と違う」と怒るか、予定調和にいかないのがすごいと狂気するか。

しかも、物語のなかでは生き延びたレイアは、演じたキャリー・フィッシャーのほうが撮影直後に亡くなってしまう。9は、ますます先が読めなくなった。

それに対して『ハン・ソロ』の結末は、ファンならば誰もが分かっている。

彼はどんな危機に陥っても生き延びるし、彼はミレニアムファルコンを手に入れるし、チューバッカとはどんな出会い方もしてもよき相棒となるし、ランドはいい奴ではあるけど裏切ることもあることを、観客は知っている。