結局、大学ブランド戦争の激化が「日大の悲劇」をもたらした

「悪質タックル問題」が問いかけるもの
佐伯 順子 プロフィール

一連の動きのなかで、意思決定の場に女性の姿がほぼ見当たらないことも注目される。

男子スポーツの試合で起こった事象であるため、必然であるといわればそれまでであるが、期を一にして問題化した女性レスリング選手のパワハラも、男性指導者が加害者であった。

もちろん、ここには女性学長の意思決定も関わっていたため、全面的に女性ばかりが弱者とは言い切れないし、また、女性権力者がつねに正しい意思決定をするとは限らないので注意が必要ではあるが、今回のケースにおいては、大学のガバナンスにおけるジェンダーの偏りも、問題を大きくした一因といえるかもしれない。

さらに、当事者の大学は医学部、大学病院も抱えており、他人の生命や身体を軽視するような風潮がかいまみえる大学に、健全な医学教育や医療ができるのかという疑問まで生じかねない。

一般市民が安心してわが子の身柄や家族の命を大学、大学病院に預けることができるのか。

これは一私学にとどまらず、日本の教育機関としての大学全体の信頼問題にも関わる事態であり、日本大学以外の例ではあるが、複数の大学病院における医療ミスも社会問題化しているなか、教育、医療という、"聖職"といわれる業界の一部の腐敗が、今、切実に問われているのである。

 

ネット社会における被害者の「声」

メディア環境という側面からみれば、ネット社会における情報拡散が、今回は被害者側の「声」をあげるにあたって、プラスに機能した。

新聞、雑誌という活字媒体、テレビを含めたかつての"主流メディア"は、世論の形成に多大な影響力をもっていたが、ジャーナリズムの精神として掲げる不偏不党、客観報道といった理想が全面的に実現しているかどうかは、政界への忖度や特定業界との癒着可能性など、残念ながら怪しい面がある。

逆に、かつて、信頼性がないと言われたSNSを含めたネット上の情報は、確かに玉石混交ではあるものの、メディア業界、大手組織に属さない個人の肉声をダイレクトに人々に届ける機会を与えた。

〔PHOTO〕iStock

悪質タックルの発覚も、かつてなら、"死角"になっていたかもしれないボールから離れた場所でおきた事実映像が、SNSで拡散されたためであり、ネット情報も正しく使えば、これまで隠蔽されてきた様々な被害を市民が共有し、生じた問題に適切に対処し、場合によっては関係者を正しく処分する契機になることが証明された。

被害側の学生の父親が議員、すなわち、社会的発言に慣れた人物であったことも、この問題をうやむやにせず、闇に葬らぬためには有効であったが、いかに公人といえども、親としての率直な思いや、相手側との細かいやりとり等を、逐一、新聞、テレビが取り上げるとは限らない。

しかし、SNSの発達のおかげで、当事者自身の生の「声」をそのままブログにあげ、市民の共感や支持を得ることが可能になった。

こうした発信手段がなければ、取材者、または大組織のバイアスがかかって、被害者の思いが正確に市民に届かなかった可能性もある。

 "世論を味方につける"という言い回しはネット社会以前から存在したが、ネット情報には必ずしも負の側面のみがあるわけではなく、当事者の肉声を通して、世論の形成に、ネットが正義の力を発揮する可能性もあることが証明されたのが、今回の事例である。