「愛国ソング」30年史を振り返る〜長渕剛からRADWIMPSまで

なぜアーティストはニッポンを歌うのか
増田 聡 プロフィール

「君が代ポップ」の登場

1999年の国旗国歌法の成立は、意識的なミュージシャンによるいくつかの君が代のカバーを産むことになった。

もっともよく知られるのは忌野清志郎の例であろう。忌野の「君が代」(1999)は当初レコード会社から発売を拒否されたことで話題になる(のちにインディーズ盤としてリリース)。パンクロック調のハードな演奏は、左右対立の中でこの曲が背負ってきたタブーを揺るがし、「ニッポン」にロックの視点から目を向けることを試みたものといえよう。

また意外なところでは、ピチカート・ファイブもこの動きに連なる。

 

彼らの最後のアルバムとなった『さ・え・らジャポン』(2001)は、ある意味ではクールジャパン感覚を先取りした「ニッポン系ポップ」といえるが、そこに収録された小粋でオシャレな「君が代」も、この曲の受け取られ方の硬直性の打破を目論んだものと言える(この両曲については拙稿「記号としての『ニッポン』――軽やかに歌われる君が代ポップ」『聴衆をつくる』所収で論じた)。

ピチカートファイブの『さ・ら・えジャポン』

いったい何が起きていたのか。これら2000年前後の「ポップな君が代」は、愛国心のストレートな発露というよりも、音楽と社会の関係に意識的なミュージシャンによる、当時の文化=政治状況への批評的な介入と理解すべきであろう。

そのことをよく示す曲にコーネリアス「The Star Spangle-Gayo」(シングル「MUSIC」収録、2006年)がある。「君が代」とアメリカ国歌「星条旗」のメロディが継ぎはぎされたギターインスト曲だが、「君が代」の「君」を星条旗と入れ替えたタイトルに、イラク戦争を推し進める米国に追随する当時の日本政府への批判を読み取ることは難しくない。

君が代という曲は愛国的なものというよりも、「ニッポン」を象徴的に示す音楽的記号として流用された。これら君が代ポップは(忌野清志郎のケースのように)抗議を恐れたレコード会社によっておそるおそるリリースされたが、結果として心配されたような影響はなかった。

この時期以降、カラオケに「君が代」が収録されることも一般化したともきく。「ニッポン」を歌うポップ・ミュージックへのタブー意識はゆっくりと払拭されてゆく。

後編に続く)