潜伏か、隠れか
そもそも「潜伏キリシタン」という言葉にあまり馴染みがない。今回の世界遺産報道で初耳という人もいるだろう。
ふつう「隠れキリシタン」と呼ばれている。
「鎖国」が「海禁」とされているのと同じく、歴史の視点を変えて、それに沿って歴史用語も変えていくようである。ただ、この変換が「新しい発見によっていままでの概念では通用しなくなったから」ではないように見える。
『潜伏キリシタン』(大橋幸泰=著、2014年刊)の説明によると、こういうものである(ちなみに当書は新しい知見に満ちた刺激的な好著である)。
隠れるように活動していたことは事実なので、江戸時代のキリシタンを“隠れキリシタン”と呼ぶことが直ちに誤りだとはいえないが、「潜伏キリシタン」の呼称を使うのは、明治時代以降、禁教が解除されていったにもかかわらず、隠れるように活動していた近現代のキリシタン継承者との差異を意識するためである。江戸時代のほうはむしろ潜伏状態にあった、というのがもっとも事実に近い。
つまり、完全な禁教下で、見つかれば殺される(つまり犯罪者として死刑になる)可能性の高い時代の信仰を「潜伏」、表立った禁教が解かれた時期以降、それでも隠れて活動していたキリシタンを「隠れ」と分けているのである。一瞬、なるほどと納得してしまうが、しかし日本語として考えてみるとよくわからない。
「隠れ」と「潜伏」の使い方の差異が明確ではない。
そもそも「犯罪を犯した者の長期逃亡」を必ず「潜伏」というわけではない。
「彼は隠れている」
「彼は潜伏している」
この二文の違いをどう感じるかという問題である。
たしかに潜伏のほうが、やや強めな印象を受けるが、あくまで印象でしかない。どちらも自分の意志で身を隠しているという意味に取れる。外的な要因によってやむなく、という意味が、どちらかに必ず含まれているわけではない。
わかりにくい。
しかし学術用語を決める権利は学者にあるのだがら、学者がそういう意味で使っているなら従うしかない。
ただ、「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の意味の違いは、通常日本語の範疇ではわかりにくいのはたしかである。あまりセンスのいい言い換えではない。
明治政府もキリスト教を禁じていた?
「潜伏キリシタン遺産」はいくつも登録されており、かなりの長い期間にわたる遺産が並ぶ。
ただ、じつは「日本ではいつ、キリスト教の禁教は解かれたのか」というポイントがはっきりしておらず、少しわかりにくくなっている。禁教時代の終わりが明確ではないのだ。
「徳川幕府が倒れて、明治になったらキリスト教は許されたんじゃないの」、とざっくり考えている人もいるだろう。でもそれは違う。
明治新政府は、べつだん開明的な存在ではなかった。
古い徳川政府から新しい明治政府になって世の中がすべてよくなった、というのは、明治政府自身がしきりに流し続けた政治的プロパガンダであり、現実はかなり違う。
明治新政府は、キリスト教は禁教のまま、その信者は強く弾圧した。
政府発足当初は、仏教さえも外来宗教として扱い、神仏分離令を出して、全国の寺々の仏像が壊された時代を作った政府である(その廃仏毀釈の騒動はわりと早々におさまったが)。キリスト教信仰など認めるわけがない。
五箇条の御誓文とほぼ同時期に「五榜の掲示」を布告し、キリスト教禁止を明確に打ち出している。