金大中事件とは何だったのか? 「独裁者の心の闇」に戦慄する

あのころは北も南も独裁国家だった
堀井 憲一郎 プロフィール

えっ…、うちの近所!?

金大中は、命を狙われて亡命中だったので、日本国内でも常に居場所を変えていた。

ホテルパシフィックやニューオータニ、ヒルトン、パレスホテルなどを転々とし、あいだに原田マンションにあった事務所にも1日置きに泊まっている。「在日本大韓民国民団」のなかで朴正煕政権に反対する団体の事務所、つまり金大中支援団体の事務所がそこにあった(韓民統の事務所、と呼ばれていた)。

週刊現代の鼎談に立ち会っているときも、繰り返し「原田マンション」という名前が出てきて、そのおり勉強不足だった私は、「原田マンションという建物はおれも知っているけど、それはうちの近所だから知ってるだけで、同じマンションの名前があるんだなあ」とおもっていた。

じつは、私の知っている高田馬場の原田マンションこそ、金大中の本拠地のマンションだったのだ。40年を越えて、突然、風景がつながった。

金大中がよく泊まっていたマンションは2018年現在も高田馬場にまだきちんとある。ただマンション名は変わっていた。さっき確認してきたら、原田マンションではなくなっていた。11階には金大中の事務所も韓民統の事務所の名前も見当たらなかった。4階では進学塾が開かれている。

1階の右側はTSUTAYA、左側はマツモトキヨシである。利用者も多い。

TSUTAYAの前はそこは「さくら銀行」だった。さかのぼると太陽神戸銀行、金大中事件当時は、どちらかの銀行(おそらく太陽銀行)だったのだろう。

太陽神戸銀行の脇から神田川に向かって下がる坂は、昭和の終わりころまではまだ「小さい商店街」があった。和菓子屋があり判子店があり、豆腐屋があり八百屋があり、畳屋と歯科医もあった。いまはほとんど残っていない。

変わったのは1987年ころからの土地高騰で、そのころ火事が頻発した。私が目撃したものでも3つの火事があった。おそらく地上げ屋による火付けではないかと噂されていたが、真相はわからない。

そんなおり、この原田マンションに銃弾が撃ち込まれた。

よく覚えている。あらためて調べると、1990年の2月の出来事である。(自分ではついこのあいだのことのようにおもっていたので28年前と確認して、しばらく言葉が出なかった)。

1990年当時は、おそらく民団や韓民統の動きが激しかったわけではないので、純粋に地上げにからむトラブルだったのだとおもう。わからないが。金大中事件のおりも実行犯に日本のヤクザがからんでたのではないかとの噂が多く、そのへんの地下世界の模様は、いまとなってもわからない。

原田マンションの一階にはたしかトラの剥製が飾られており、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。トラ、というのがあまり日本的ではない(トラのようにおもいこんでいただけで、別のものなのかもしれない。さっきみたら、さすがにもう置かれていなかった)。

いくつかの不思議な風景が、1970年代と金大中事件につながっているような気がした。それは高田馬場という街が持っている独特の空気によるものなのかもしれない。学生の街には、数十年経っても変わっていない空気がどこかに漂っている気がする。

のちに、田中角栄が4億円の金をもらって事を荒立てないようにしていたことや、じつは(元)自衛隊員が金大中の居場所を探り、それをKCIAに知らせていたことがわかっている。

しかし45年経って、ことのあらましを聞いて、やはり気になるのは「金大中を完全に消し去ろうとした人間の心の闇」である。

おそらく朴正煕の直接命令なのだろう(別の可能性としては、朴正煕に気に入られようとしたKCIA幹部の先走り独断専行という線もなくはないのだが、それにしても朴正煕の黙認がなければ遂行できない)。

独裁者の心の闇の深さを、この事件を振り返ると、強く感じる。

韓国は独裁者の国ではなくなったが(その反動が強すぎる気もするが)、世界にはいくつかの独裁者の国が残っている。

おそらく独裁者はみな同じような心の闇を抱えているはずだ。

想像したくないエリアではあるが、でも、そういう闇がいまも世界のどこかにある、ということは意識して生きていったほうがいいのだろう。