金大中事件とは何だったのか? 「独裁者の心の闇」に戦慄する

あのころは北も南も独裁国家だった
堀井 憲一郎 プロフィール

金大中を拘束した工作船は…

事件が起こったのは1973年の8月8日水曜日。

金大中は、ホテルグランドパレス(住所は千代田区飯田橋、最寄駅は九段下)に泊まっている韓国の政治家に会いに行った。

会見が終わり、廊下に出たところで、暴漢数人によって取り押さえられ、隣室に連れ込まれたあと、クルマに運び込まれる。縛られ座席下に転がされ、長駆、関西まで運ばれた。ボートに乗せられ、沖合で少し大きな船に移された。船内で簀巻きにされ、カラダに重しをつけられる。

そのまま海中に放り込み、浮かび上がってこないようにするつもりだったのだ。

金大中が船に乗せられたのは兵庫県の鳴尾浜、阪神甲子園球場も近い港からであり、どうやら大阪湾を抜け、外洋に出るあたりで沈められることになっていたようだ。どの陸地からも遠いところで沈め、あとかたのないようにしたかったのだろう。

ところが実行前に、その工作船を追ったヘリコプターがあらわれる。船の周辺に照明弾を撃ち、上空を旋回した。あきらかに威嚇である。金大中を殺すなという明確な警告であった。

この描写は金大中ののちの述懐によるものだが、ヘリコプターがやってきて照明弾を撃ち、警告を発したというのは本当のことなのかどうか、わかっていない。そういうことをやった、という記録がない。

やるならおそらくアメリカ軍、ひょっとして自衛隊か海上保安庁かもしれないが、事件後、警告に向かったという証言がない。

金大中は拘束状態であり、殺されることを意識した極限状態だったので、彼の認識違いかもしれないのだ。つまり頭越しに国家間のやりとりで中止が決定して、工作船もそれに従ったまでで、極限状態の金大中は何かの音や明かりを救出にきたヘリコプターと勘違いした、という可能性も考えられる。

 

昼の1時すぎに拉致された金大中が殺されそうだということは、このときにはすでに日本政府もアメリカ政府も把握しており、とにかく止めなければいけないと動いていた。

ただ工作船の航行位置を把握するためには正確な情報がないと無理である。実際にヘリが飛んだとすると、かなり謀略の中心に近いところから、情報がもたらされたということになる。

実行したのは、韓国中央情報部、いわゆるKCIAである。のちの情報公開によって確定されたが、当時からKCIAの犯行だろうとされていた。

工作船は金大中謀殺を諦め、彼を乗せたまま韓国に入り、拉致から5日後に自宅近くで解放された。

そういう事件だった。

ただ当時は、「金大中が東京のホテルから何者かによって拉致され、5日後に韓国で解放された」という事実しかわかっていなかった。

ここまで彼に死が迫っているとは知らなかった。

韓国政府の政敵謀殺を、アメリカが食い止めた、ということのようだ。

日本政府は、日本国内で外国の要人が拉致されたのでもちろん抗議をしたのだが、特命大臣が韓国からやってきていきなり当時の田中角栄首相と面談し、おみやげだと言って「4億円」を渡して、それで解決を図った。そのあたりは森省歩の『田中角栄に消えた闇ガネ』に詳しい。

もちろんそれは後年になって明らかになったことで、当時は、裏でそういう取引されていたことはまったく知られていない。