ある日突然、「虐待」で通報された親子のトラウマ

本当に必要な対策とは何か?
井戸 まさえ プロフィール

児童相談所ではお互いの名前やどこに住んでいるのかなど、プライバシーは言ってはいけないというルールがある。相談所を出た後に連絡を取り合ったり、個人情報が表に出たりすることを避けるためだ。

でも子どもたちは禁止されていても自分たちのことを話す。幼い子どもたちは不安だからこそ、話さずにはいられないのだ。

その端々に、それぞれがどうしてここに来ているかが分かる。虐待、ネグレクト、家出、非行——。

「朝、玄関に靴が置いてあると、誰かがここから出ることがわかる。あの子は施設だとか、あの子は家に帰るとか、みんなでひそひそ話すんだ」

 

子どもが過ごした一時保護所の周りを車でぐるりと回りながら、そんな話をする。忘れなければならない記憶を確かめるように、次男は言葉をつなぐ。

自分の靴が置いてあった時、僕はどうなるのだろうかと不安に思ったこと。促されるままにワンボックスカーに乗り込んだら別の児相に預けられていて、5週間顔を合わせることのなかった長男が乗っていたこと。兄弟喧嘩が絶えない二人だったが、この時ばかりは「ああこれで帰れる」と二人で抱き合ったこと。

次男が施設を見てほしいと言った意味をBさん夫妻はようやく理解した。「僕は悪くない」と執拗に言うことも。

「学校に行かせてもらえなかったから、 楽しみにしていた学校のスキー合宿にも行けなかったよね」
「保護所の中では勉強も年少の子を基準にするため中高学年の子どもたちにはほったらかしなんだ。今、算数の授業についていけないと感じるのは、あの時勉強できなかったかなあ」
「見たくもないDVDをひたすら見せられて、不満を言うと叱られて廊下に立たされたんだよ」——

子どもたちも納得していないのだ。なぜ児童相談所で過ごすことになったのかを。

「君は悪くない」と言いながらも、「ここでのことは一切人に話してはならない」「場所も教えてはダメ」「友だちにも名前を言ってはいけない」……

つまりは記憶の一切合切は封印しなければならない。それは「悪いこと」だからだ。

「君は悪くない」と言われながらも、次男には「僕が悪かった」からこそ僕はここにいるのだ、としか思えなかったのだ。

〔PHOTO〕iStock

声をあげての夫婦喧嘩等、反省しなければならないところはあるかもしれない。親として未熟な部分も認めよう。

ただ、自分たちの事案は果たして児童相談所で保護することが妥当な案件だったのだろうか。学ぶ権利すら失われた子どもたちの姿を見ながら考え込む。

「通報」情報は大事である。虐待にさらされている命を救うために警察との連携も必要だろう。

しかし、中軽度で市町村の子ども家庭支援センター等で対処可能なものまでが、すべてがごちゃ混ぜに児童相談所での対処となってしまっている。

結果、児童相談所は「戦場」(元児童相談所所長)と化し、本来、手を入れなければならない重要事案にかかる人手も時間も取られるという悪循環に陥る。

また、中軽度で児童相談所案件となったときには、その後の親子関係にどのように影響するかの検証もしっかり行なわなければならない。これは急務だ。

Bさんはインターネットを通じて、同じ体験をしている人の声を探したが、なかなか見つからなかった。

たとえば児相との対応でどんな兆候があったら子どもが帰ってくるのか等、それがそのままあてはまるとは限らないものの、現在進行形の対処についての情報を得ることはできた。

一方で児相から帰って来た後の親子の関係等について参考になるものはほとんどなかった。

文献も探して読んだ。手に入ったのはアメリカのもの一冊だけ。翻訳者だから読めたが、日本社会や家族のありよう等を反映したものとは出会えなかった。なぜなのか。

子どもが児相に保護されたと言った瞬間に「虐待親」というレッテルを貼られ、好奇の目で見られる。知人や親戚にだって相談できない。

ひとことでも自分の体験を話したら、誤解を生み、また何の前触れもなく子どもたちがいなくなるのではないかという不安。だから経験者たちは口を塞ぐのだ。

本来は軽微な件で児童相談所に保護された体験を持つ人々が、そのリアルを、不都合も含めてもっと伝えて行かなければ、重篤なケースも、軽微な事案も同じ対応がされ、結果的に子どもたちに深い傷を負わせることにもなりかねない。

悲惨な事件の様子が報道される一方で、そうした声は一切出て来ない。

4年の月日が流れ、子どもたちも中学生になった。しかしBさん家族は親も子も、今もあの5週間がトラウマだ。

結愛ちゃんの事件に心が痛む。だからこそ、Bさんは児童虐待の政策が一面的なものに終わらないようにと、思い返すこともつらい経験の一部を話すことに決めたのだ。