日本は「首相が誰と会ったかわからない国」から卒業できるか

これは、どう見ても異常事態だ
三木 由希子 プロフィール

これも、アメリカでは連邦議員から政府機関への問い合わせ記録が作成されていた。一つが、FBIに対して連邦議員やそのスタッフが問い合わせ等を行った記録だ。【7】

いつ、誰が誰(あるいはどこ)に対して問い合わせ等をしたのか、用件は何であったかという問い合わせ概要がログとして記録されている。一番上は、コミーFBI長官にあてたものであることがわかる。

また、CIAからも同じような記録が公開されている。いつ、どの議員からどのような要件で問い合わせがあったのかが記録されている。【8】

これらはあくまでも概要やログなので、個別の案件についてさらに詳しく記録を残す必要があれば、別途作成されることになるのだろう。

 

なぜ記録が残るのか

日米を比較すると、何を公的な記録として残すのかということの違いだけでなく、記録そのものの作り方が違うこともわかる。

これを、やはりアメリカは違う、記録を大事にする、それに引き換え、と日本の状況を嘆いてしまうと、話は先に進まない。

なぜ記録は残るのかをかみ砕いて考えてみれば、一つは、権力や権限へのアクセス、影響力の行使を記録することで、政府が説明責任を果たし、政治的正当性を確保することになるという合意があること。もう一つは、その合意に基づき、記録の仕方を決めているということだ。

政治的なレベルの活動の何をどう記録するのかを、その都度個別に行政職員が判断することは、非常に負担が大きい。

一方、こういう場合はこう記録していくと決めていれば、記録を残すことは「作業」になる。この日常作業にしておくことが、ポイントだろう。

翻って日本はどうかと言えば、そもそも政治レベルの活動を行政文書に記録して残すことの合意そのものが、政治的にあるとは言えないだろう。

政治レベルの活動の説明責任が果たされる実態がないまま、政治的リーダーシップが発揮されている。このことがもたらす問題が、今、私たちが目の当たりにしている政治の姿だ。

公文書管理の問題がさまざま議論されているが、まずはこの問題を解決する必要がある。