丸山ゴンザレスが「水上スラム」で飲んだ、世界一不快な液体

クレイジージャーニー裏日記⑪後編
丸山 ゴンザレス プロフィール

マココからの離脱

「ここから出ていってくれ」
船頭から「最後通告」を食らったのは、突然のことだった。

カメラを向けると顔を隠す女性。カメラに対する警戒心はひときわ強い

実は、船頭や関係者を通じて、集落の有力者に取材ができないか、と打診をしていた。その結果、船頭の属するグループの若者たちが、私の乗った船を常に監視しつつ、一方で取材を快く思わない人たちから保護してくれていたそうだ。

問題は、ある意味では迷惑なわれわれ外国人が、いつまでも集落に留まっていたこと。そして、われわれの存在を知った集落の他のグループがやってきて、「金を払え」と迫ってきたのだ。

 

正直、金を払ってしまえばいいとも思った。こうしたコミュニティの取材は、有力者へ謝礼を渡すことで成立することが少なくないからだ。だが話を聞いていくと、ことはそう単純ではなかった。

「他のグループの許可を得ず、外国人の取材を受け入れたことが問題だ」

騒ぎの発端はこちらの取材であることを指摘された。周辺のグループの雰囲気は、すでに金銭がどうこうではなくなっている。結局、船頭のグループのこの一言が「最後通牒」となった。

「ほかのグループの連中がここに向かってきているので、早く立ち去ったほうがいい」

この言葉を聞いて状況を理解したところで、早々に離れる決断をせざるをえなかった。メンツを潰された連中がまったく予想外の行動に出る可能性があったからだ。この集落でもっとも恐ろしいのは、混乱が生み出す暴力である。

「モブ・ジャスティス(Mobjustice=暴徒による正義)」

正義の名のもとで実行される、集団による暴力、というものがある。特にこの自治区のように、中央の眼が届かないところでは、こうした「暴力の正当化」が起こりがちだ。警察が介入しないからだ。少数派であるエグン族の集落で起きた問題は、彼らに委ねられることになる。警察もマココのパトロールはめったにすることはないそうだ。

ここでもうひとつの情報がもたらされたことが、取材中止の追い打ちとなった。

「動き出す可能性があるのはもっとほかの連中かもしれない」

驚くことに、他の連中というのは、テロリストのことを指していた。

ナイジェリアにはボコ・ハラムのようなイスラム過激派や、その協力者が少なからず存在している。彼らにとって、警察が介入しない地域で、観光客ではなく、単独取材するジャーナリストは、いいカモである。彼らに、「ここに外国人がいる」と情報を売るような輩はマココにもいるそうだ。

さすがにここまでくると撤退を決断する以外に道はなく、帰りの車に乗り込んで出発するまでは、不安を拭い去ることができずにいた。

マココはのどかなだけの水上集落ではない。取材に協力的で心根の優しい人達にもいっぱい出会うことができたが、それでもわれわれを排斥しようとするグループが存在している以上、撤退の判断はやむなしだった。

マココの取材はここで終わった。

振り返ってみると、まさに「クレイジーな旅」だった。そもそも、マココに外国人が訪れるケースは、皆無とはいわないが、観光地とは比べるはるかに低い。なにが起こるかという情報がないのだから、深入りは危険なのだ。

前述した私の映像作家の友人が、ナイジェリアのサッカーチームのPVの撮影でマココを訪れたときのことだ。実は、選手たちも「マココに行ったことがない」とのことで、この映像作家に同行し、マココを訪れたそうだ。

それまでは遠足気分のようだったが、一歩マココに踏み込むと、楽しそうな表情が一気に強張ったという。さきほども説明したように、マココはエグン族の領域。選手たちはヨルバ族。自分たちは、ここではよそ者だと肌で感じたのだろう。

マココが、よそ者を完全に排除するような恐ろしい場所だと断言するつもりはないし、そんな場所だけではないと思っている。しかし、事実としてよそ者を近づけたくない勢力や集団が存在しているのは間違いない。

見る角度、触れる場所、タイミングで、その土地の見え方は変わるのだ。ただ一度訪れただけで「わかった」とは言えないのだな……そんなことを気づかせてくれる旅であった。

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