(筆者提供)
# ハゲ # ライフ # ファッション

朗報!ハゲでもかっこよく見える「理想の髪型」がついにわかった

むやみにスキンヘッドにするのはNG
調査によって諸説ありますが、日本のハゲ・薄毛男性は、1300万人いるとも1500万人いるとも言われています。これは成人男性の3人に1人にあたる数。ここまでハゲ・薄毛人口がいるにもかかわらず、なぜこれを「悩み」や「コンプレックス」として捉えなければならないのでしょうか?
「カルヴォ(薄毛を魅力的に活かした男性)」の概念を通して、豊かなライフスタイルを提案する企業の代表であり、『ハゲを着こなす』の著書もある松本圭司氏が、ハゲでもかっこよく見える髪型を提案。全国の同志を勇気づけます。

もう、「スダレ頭」はやめた

私は、20代後半から自他共に薄毛を認めるようになった薄毛の当事者です。そのころは、「髪を増やせなくても、なんとか現状維持はしたい」――そういう思いで、ありったけの時間とお金と努力を注いでいましたが、約10年近く続けた育毛に対する根性・熱意に限界を感じ始めていました。

「髪が豊かな人はしなくてもよい、“隠す・増やす”といった行為を、自分はこの先一生続けていかなければならないのだろうか……?」

そのころ、私の薄毛は進行し、少なくなった髪の向こうに、頭皮が見えている状態が何年も続いていました。いわゆる「スダレ頭」です。そして、5年前のちょうど今ごろ、育毛という戦い、そして薄毛を隠す戦いから引退することに決めました。

そうして私は、ありあまった気合を胸に抱え、行きつけの美容院で「いつものように」とは言わずに「とりあえず短くしてみてください!」とお願いしたのです。

そしてわずか30分後、鏡の向こう側には、これまで出会ったことのない自分の姿が映し出されていたのです。美容師さんに撮影してもらったアフターの写真に驚いたのは、居合わせた他の美容師たちでもなく、私自身でした。

左がアフターの髪型/*本稿の写真はすべて筆者提供

ビフォアーアフターの写真の通り、外見が大きく変わりましたが、見た目以上に大きく変わったのは自分に対する自信です。薄毛を気にしてからは、どちらかというと物事に引き気味に取り組んでいた私ですが、髪を切った翌日、職場の先輩や同僚からは「すごくいい」と言ってもらえ、その時、久しぶりに自分自身を肯定できる感覚を味わいました。

この日以降、髪を伸ばして頭を隠そうと思うことは二度となくなりましたし、ありのままの自分自身を認め受け容れ、人生を心から楽しめるようになりました。この出来事は、まるで曇り空の間に明るい光が差し込んだような体験でした。

それから私は、「ハゲ・薄毛に悩んでいる他の男性にも、この清々しい気持ちを体験してもらうことはできないだろうか?」と、真剣に考え始めました。ほんの少し勇気を持って、外見を変えることに踏み出せば、皆さんにも違う世界を感じてもらえるはずだと強く信じていたのです。

ですので〝薄毛を魅せる〞という考え方と、具体的な方法を研究して、広く伝えたいと考えるようになりました。

そこで、私は“薄毛を魅せる”ための研究をすべく、神戸大学大学院にて経営学を専攻し「コンプレックスビジネス」の研究を始めることにしました。薄毛がどうして恥ずかしいと思ってしまうのか? どうすれば薄毛が格好良く見えるのか? を研究し始めたのです。

その間に、“薄毛を魅せる”といったテーマに可能性を感じはじめ、ついには会社を辞めて起業するに至りました。

 

欧米人ハゲと、日本人ハゲの違い

それにしてもハゲ・薄毛に関してよく言われるのが、「欧米人のハゲはカッコいいけど、日本人のハゲにカッコいい人は少ないよね」という声です。なぜ、欧米各国のハゲ薄毛男性は、女性だけでなく男性から見ても、カッコいいと認識されるのでしょうか? イニエスタだってかっこいいと思いませんか。

私はこれまで、数千人もの「ハゲ・薄毛でカッコいいと言われる著名人」を、欧米人・日本人問わず、つぶさに観察してきました。既に一般的に言われている、頭の形が良い、顔の彫りが深いといった理由以外に、多くの要素によって欧米人のハゲ薄毛のカッコよさが実現されていると考えています(姿勢、ファッションなども含めて)。

色々要素はあるのですが、頭部に限定すると、

【欧米人の特徴】
・顔の彫りの深さにより凹凸が生まれ、それらが光の加減によって陰影(メリハリ)を生み出している
・顔の「縦幅÷横幅」の比率が高い
・「頭部の奥行き÷顔の横幅」の比率が高い

対して、日本人はというと、

【日本人の特徴】
・凹凸が少なく、顔のパーツ自体で陰影を作るのが難しい
・顔の「縦幅÷横幅」の比率が低い
・「頭部の奥行き÷顔の横幅」の比率が低い

ということがわかりました。

要約すると、欧米人が面長顔なのに対して、日本人は丸顔や四角顔が多いのかもしれない、ということです。それが薄毛が似合うかどうかの境目ではないか? と踏んでいるわけです。