画/おおさわゆう

父が医者だからといって、必ずしも恵まれているわけではない話

覆面ドクターのないしょ話 第22回
医者の子供が、医者を目指すケースは多い。次郎先生も、その例に漏れず、医者の息子である。医者の息子と言えば、恵まれているお坊っちゃまのようなイメージがあるがあるが、決していいことばかりではないようで……。

予防注射の惨劇一部始終

私が半ズボンをはいて小学校に通っていたある日のこと。

その日は何事もなくごく普通の一日となるはずだった。ところが、朝の出欠点呼の後、担任の先生からのひと言で空気は一変した。

「今日は昼休みの後、予防接種があります」
「え~っ!」

小学生のとき、私は父と校内で出くわすことが、他の生徒より断然多かった。なぜなら父が校医だったからである。私はあまり学校で父に会いたくなかった。

昔の医者だから、父も少し威張っていた。聴診の時など「静かにしろ!」などとよく生徒に怒鳴っていた。

 

父に怒られた上級生たちは、予防接種の後お決まりのように私のところへやって来て、「お前のオヤジ、ハレンチ学園のドスケベ院長!」などと嫌味を言い残していったものだ。

当時東京12チャンネル(現テレビ東京)で、小学生男子に大人気の「ハレンチ学園」というスカートめくり炸裂のドラマが放送されていたのだ。

その日、予防接種のことも忘れて、生徒たちは昼休みにサッカーをしていた。その中にI君がいた。

キンコンカンコン。昼休み終了のチャイムがなり、全員校舎に向かって歩き始めた。

見ると、I君の様子がおかしい。歩みが遅く、しゃっくりをしている。さっきまであんなに元気だったのに。教室に入ると、I君は病人の形相になった。

実はこれ、注射が大嫌いなI君の常套手段で、彼は仮病を使うことでも有名だった。仮病を使って注射をパスしようという魂胆なのだ。体育館に行き、校医である父の前に縦に一列に並ぶ。

そろそろ誰か、注射に代わる痛くないやつを発明してくれないですかね(photo by istock)

「I君、体調は?」

I君は青白い顔でうつむいている。

「体調悪いのか? でも熱はないなぁ……大丈夫だ、注射しよう」
「!!!」

I君の目論見が外れた。

「さぁ、腕出して」
「おえっ」

I君は、なんだか本当に気持ち悪そうだ。

「やだ! 注射やだ!」

担任の先生も保健室の先生も、聞き分けのない生徒が出現し慌てふためいた。

「押さえつけなさい!」
「やだやだ! おえっ」

せっぽちのI藤君は渾身の力で抵抗した。おもちゃを買ってもらえない幼稚園児のように、I君は床の上に仰向けになって暴れ続けた。

最後は、先生たちに子豚の丸焼きみたいに抱えられて、I君は父の前に連行されていった。校医の父も苛立っていた。

「おいっ! いい加減にしろ、男だろ!」
「やめろ、ハゲ医者! あっち行け、ヤブ医者!」

二人の応酬がエスカレートしていった。

「何だと!」
「やめろーっ!」

断末魔の言葉だったのか、I君は「やめろーっ!」に続いて、「おえーっ!」と髪が薄い父の額の上に吐いてしまった。

「まずい……」

そこにいた先生も生徒も息子である私も凍りついた。

父の額の上には、I君がお昼に食べた給食であろうか、ニンジンのような赤い細切れや、焼きそばのような細いものが張りついていた。おかげで、はげかかった父の髪の毛が増えたように見える。とはいえ、その姿は白衣を着たレゲエのおじさんだったが……。

「あらま、どうしましょ、大変!」

保健室の先生は狼狽していたが、父は冷静だった。

「腕の注射は危ない。こいつのケツを出せ!」

小学生男子はスカートめくりとズボンおろしが大好きだ。日頃禁止されてはいるが、今は非常事態。しかも、これは校医の先生の上意である。上意討ち、いや上意射ちだ。

「いちにいのさーん!」

クラスメートが彼のトレパンを思いっきり下ろした。注射をする臀部の上だけを出せばいいのに、全ケツ+竿(さお)1本+ちょうちん2つまで露出してしまった。こうしてあえなくI君は上意射ちに遭い、教室に引き上げて行った。

さて、まだ戦後処理が残っていた。父は額に焼きそばがかかりレゲエのおじさんのままだった。

「センセ、とりあえずこれで拭きましょ」

タオルを切らしているのに気付いた保健室の先生はとっさにアルコール綿で父の顔を拭いた。

この処置はまずかった。父は酒が一滴も飲めない。下戸なのだ。父の色白の肌はアルコール負けする。予防接種が終わって帰る頃には真っ赤になってしまった。

口さがない上級生がまた私のところへ来てこう言った。

「おい、酔っ払いが注射していいのかよ、タコ院長」

父が気の毒ではあったが、心の中では早く校医を辞退してくれることを、私は切に願っていた。