徒手空拳から雑誌の全国販売網を作り上げた越後商人・大橋佐平

大衆は神である⑧
魚住 昭 プロフィール

博文館の創業

佐平は東京に着いて間もなく、仏教雑誌と婦人教育雑誌の発行を計画し、長岡にいる息子の新太郎(しんたろう/当時23歳)に意見を求めた。すると、新太郎は、

「雑誌の発行は、時勢に適していると思われるが、専門雑誌は数多く、しかも専門的でありすぎて、読者は少なく、発行部数も少ない。価も高い。故に各雑誌の主要記事を集めて、廉価で販売すれば、世に益することも多い」

と言ってきた。新太郎は中村正直(なかむらまさなお)(号は敬字〈けいう〉。明治の大ベストセラー『西国立志編』[原著はサミュエル・スマイルズの『Self Help』]の翻訳者として知られた)が開設した英学塾・同人社で学んだインテリで、出版界の動向にも通じていた。

 

佐平は息子のアドバイスに従うことにした。早速、同郷の医学博士・小金井良精(こがねいよしきよ/森鷗外の妹婿。作家・星新一の祖父)のあっせんで本郷弓町(ほんごうゆみまち)の長屋(六畳二間、家賃3円80銭)を借りた。

そこに「博文館(はくぶんかん)」の看板を掲げ、翌明治20年6月、『日本大家論集』を創刊した。

当時の新聞・学術誌に掲載された諸大家の論説や記事を無断掲載したもので、著作権の確立していない時代にしかできないダイジェスト版雑誌だった。

一冊10銭と破格に安く、これ一冊で当代に卓越した論説や記事を読むことができる。というので、初版3000部はただちに売り切れ、翌月中に四版を重ね、あわせて1万部余りが売れた。

佐平は『日本大家論集』の第2号、第3号を続刊するとともに、同じダイジェスト版で仏教雑誌の『日本之教学』や婦人教育をテーマとした『日本之女学』、それに『日本之商人』や、『日本之法律』、『日本之少年』などを矢継ぎ早に創刊し、いずれもヒットさせた。

明治21年(1888)三月、佐平のたっての願いで新太郎が長岡から上京してきた。新太郎は佐平に「棚卸しをしたことがありますか」と訊ねた。「ない」と佐平は答えた。

商人が棚卸しをしないのは良くないから早速やってみようと、新太郎が損益計算表と財産目録を作ってみた。すると、前年6月から約9ヵ月間奮闘努力した純財産の総額がわずか525円だった。ただ、この525円は博文館にとって最も大切な企業資本金となった。

(つづく)