徒手空拳から雑誌の全国販売網を作り上げた越後商人・大橋佐平

大衆は神である⑧
魚住 昭 プロフィール

竜を見た男、大橋佐平

明治20年代はじめに、雑誌の全国販売網──取次体制──がつくられ、近代日本の出版流通システムができあがった。それを成し遂げたのは、明治19年(1886)11月、雪深い越後長岡(えちごながおか)から、徒手空拳で上京してきた数えで52歳の商人だった。

 

商人の名は大橋佐平(おおはしさへい)といった。もとは越後長岡の材木商の息子だが、彼には一風変わった能力があった。本人が死の直前に語った記録によれば、記憶力が常人より強く「一旦脳中に入りしことは忘るることなし」。また、日ごろ親交のある人が「他所にありて不幸あれば必ずその訃に接せざる前に判然感知する事あり」だったという。

12歳のときのことらしいが、越後岩船(いわふね/今の新潟市の北東約50キロメートル)の海岸を歩いていたとき、200〜300メートル先の海面で竜が昇天するのを目撃した。世に竜を見た人はあるが、わずかにその尾を見たにすぎない。彼が見たのは、数頭の金竜が雲中に出没する、まさにそのシーンだった。

竜の鱗の光が目にまぶしかった。「黒雲四辺を蔽(おお)うて昇天の壮観人をして身の毛をよだてしむるばかり。その勢の凄まじきこと今尚目前に見るが如し」だったという。

佐平の公式伝記『大橋佐平翁伝』(坪谷善四郎著、栗田出版会刊)によれば、彼は母親の代からの熱心な真言宗徒で、「人となり豪放不羈(ごうほうふき)、平生眼中人なきが如く、癇癖(かんぺき)極めて強く、その怒るときは烈火の如く、為にしばしば人と衝突する」質だったという。

大橋佐平

協調性がなくて、怒りっぽい、商人には最も不向きなタイプである。実際、彼は長岡で郵便局経営や、陸運事業や雑誌・新聞の発行など次々と新規事業に手を出しては失敗している。

しかも、ちょっと儲かると「またしばしば柳暗花明(りゅうあんかめい)の巷(ちまた)に流連(いつづけ)し(=遊里に何日も寝泊まりつづけ)、日々の店員の指揮や人夫の部署は、挙げてこれを夫人松子に一任」(『佐平翁伝』)するという遊び人だった。

そんな男が、なぜ、近代日本の出版流通システムの生みの親になったのだろうか。