「新幹線殺傷」「秋葉原通り魔」「ブロガー刺殺」3つの事件の共通点

人を刺さないための「読解力」とは…
伊藤 氏貴 プロフィール

「読解力」の訓練

実際、拾い集めてきたことばが載っていたのは掲示板なのであり、ブログでもTwitterでもない。つまり、多くの人が集い、自由にことばを交わすべき場だったのである。

その掲示板には、はじめのうちこそ、犯人のネガティヴな発言に誠実に反応し、慰めのことばをかける者も少なからずいた。しかし、犯人の尖ったことばは、他者の関心を引くどころか、呆れられ、捨てられ、最後には犯人のことばだけが蜿蜒と連ねられる個人のブログの様相を呈していた。

要は、2で自ら嘆いたように、「誰にも理解されない」ことを、ここで犯人は追認することになったのである。

 

そして犯行予告をつぶやき、誰にも相手にされないまま秋葉原でことに及んだ。

報道されたとおり、親や会社の人間からの処遇に対する恨みが募っていたのなら、なぜ秋葉原を選んだのか。根底には、自分のことばが理解されないことへの苛立ちがあった。

しかし、自分のことばを他人に伝えるためには、それに先立って他人がどう考えるかを想像する力がなくてはならない。それが太宰にはあって犯人に欠けていたものだ。

この度の新幹線の事件は、秋葉原と同じ6月8日に起きている。こちらの容疑者もまた、成績はよく、しかし父親の証言によれば、「幼いころから、人の言うことを言葉通りにしか理解できなかった。変わった子だった」という。

父親にすら「理解されない」哀れな子だったということになるが、本人の側に欠けていたのは「人の言うこと」の「言葉」の裏にある意図を読む能力である。子ども時代のテストで高得点をとれたとしても、他人の気持ちを読む「読解力」がなかったのだ。

たしかに、こうした力には差があり、もしかするとそれは生まれつきの脳の問題がいくぶん関わっているのかもしれない。しかし、そのこと自体が犯罪にまで直結するのではないだろう。他のさまざまな能力と同様に、訓練によって伸ばすことができるはずである。

たとえば、タレントの栗原類は、子どものときからの同様の苦労を、母親による「読解力」の訓練によって克服してきたと述べている。

「読書で筆者の伝えたいことを読み取り、描かれている世界を細かく想像する。ドラマや映画を見て気になる動きや表情を一時停止し、“この表情は何を表しているか”を考え、母の説明を聞いて理解し覚える。日常的にこんな訓練を繰り返しているのですが、コミュニケーション能力の向上はもちろん、俳優の仕事にもおおいに役立っています」

こうした「読解力」は絵本、小説等で鍛えることができるものだ。対面のコミュニケーションに関しては、ドラマや映画が役に立つだろうが、SNSでは表情や語調を削ぎ落とした文字によるコミュニケーションの割合が最も大きい。すぐに炎上騒ぎになるのは、文字の「読解力」の訓練が足りないのかもしれない。