こんな身近にあった、人類が進化している証拠

昔の生活に戻れば健康になれる、は本当か?
更科 功 プロフィール

大人なのにミルクを飲むなんて

私たちは哺乳類である。哺乳類のおもな特徴は、ミルク(母乳)で子供を育てることだ。だから、当たり前だが子供はミルクを飲む。しかし、大人はミルクを飲まない。というか、大人になるとミルクを飲めなくなる。それは、成長するにつれてラクターゼという酵素を作らなくなるからだ。

ミルクにはラクトース(乳糖)が含まれる。このラクトースは、ラクターゼという酵素によって、グルコース(ブドウ糖)とガラクトースに分解される。私たちの小腸は、これらの分解されたグルコースやガラクトースは吸収できるが、分解される前のラクトースは吸収できないのである。

【図】ラクトースのラクターゼによる分解
  ラクターゼによるラクトースの分解

だから、大人がミルクを飲むと、分解も吸収もされないラクトースが腸内に増える。すると、ラクトースを食べる腸内細菌が増える。その細菌の排泄物によって、私たちは消化不良とガスに悩まされることになる。だから本来なら、ヒトの大人は牛乳などのミルクを飲んだりしないのである。

ところが、ラクターゼ活性持続症という病気になると、大人になってもミルクが飲めるようになる。大人のくせに、まるで赤ちゃんみたいにラクターゼを作り続ける。大人になってもミルクが飲めるなんて、赤ちゃんみたいで恥ずかしいだろうな。

でも、私には、そんなことを言う資格はない。だって、私もラクターゼ活性持続症なのだ。いや、日本人にはラクターゼ活性持続症の人がかなりいるので、この文章を読んでくださっているあなたも、かなりの確率でラクターゼ活性持続症のはずだ。

ラクターゼ活性持続症は自然選択で広がった

ラクターゼ活性持続症は遺伝性疾患である。このラクターゼ活性持続症を起こす突然変異が、酪農をしている地域では自然選択によって広がったことが、DNAのデータから実証されている。実は、ある遺伝子の周りのDNAを観察すれば、その遺伝子が自然選択で広がったかどうかがわかるのだ。

私たちが子供にDNAを伝えるときには、母親と父親からきたDNAが組み換えを起こして、DNAの一部をお互いに交換する。交換されたDNA領域には、遺伝子がいくつも乗っているので、近くにある遺伝子は一緒に交換されて、運命をともにすることになる。

しかし、組み換えのときにDNAが切られる位置は適当なので、多くの世代を伝わって、繰り返し切られて交換されていくうちに、近くにあった遺伝子もだんだんなくなっていく。遺伝子同士が近ければ近いほど、一緒にいる時間も長くなる。とはいえ、どんなに近くにある遺伝子でも、いつかは組み換えによって別れる運命なのだ。

ここで、ある遺伝子に、自然選択が働くとどうなるだろうか。もし自然選択が働けば、その遺伝子は多くの個体に、つまり集団中に広がっていく。自然選択が強ければ、組み換えによって遺伝子同士が離れていく速度よりも、遺伝子が集団中に広がる速度の方が速い。

したがって、強い自然選択を受けた遺伝子は、どの個体で調べても、同じ遺伝子のセットに囲まれていることになる。実際、ラクターゼ活性持続症の変異をもつラクターゼ遺伝子の周囲のDNAを調べると、どの個体でもほとんど同じだった。

私たちヒト(ホモ・サピエンス)が現れてからおよそ30万年が経つが、そのほとんどの期間、私たちの大人はミルクが飲めなかった。ラクターゼ活性持続症の突然変異が起きて、ミルクを飲める人が増えたのは、つい最近のことだ。

ルーマニアやトルコやハンガリーの遺跡から、約6000年前の陶器片が発見された。その陶器片にこびりついた汚れを分析したところ、ミルクに含まれる脂肪が見つかったのだ。これは、大人もミルクを飲んでいた証拠だろう。

おそらく酪農が始まって、動物の栄養価の高いミルクが手軽に大量に手に入るようになったので、ミルクを消化できる変異が有利になって広まったのだろう。そうして、大人もミルクを飲めるようになったのだ。

こういう遺伝子は、他にもかなり見つかっている。たとえば炭水化物を消化するための酵素は、狩猟採集民より農耕民に多いことが、現生のヒトで確認されている。これはほぼ確実に、農耕への適応だろう。私たちの体は新しい生活に適応するように、確実に進化しつつあるのだ。

確かに、文化的進化は生物学的進化より速い。しかし、たとえば農業なら、始まってから1万年以上が経っている。その間、ヒトがまったく進化しなかったと考える方が不自然だろう。ヒトの進化を一生の間に目撃することは無理でも、数千年もあれば、ヒトだって進化するのだ。