「半分、青い。」は、日本の衰退を教えてくれるドラマだ

時代の「反面教師」として
井戸 まさえ プロフィール

地方都市、三世代同居、商店街の地域活性化策

楡野鈴愛が生まれ育ったのは岐阜県梟町のふくろう商店街である。

「ふるさと」の歌詞そのままに、自然豊かな場所で鈴愛は「子どもらしい子ども」として成長する。

三世代同居、祖父も父母も弟も、誰もが鈴愛を愛し、そこに「渡る世間に鬼ばかり」的葛藤はひとつもない。当然ながら、父親のちゃぶ台返しもない。

病気のために片耳が聞こえなくなる鈴愛が前向きに生きることができたのも、母をはじめとする家族の支えがあってこそである。

しかし、ふくろう商店街に未来があるかと言えば、ない。鈴愛の実家である「つくし食堂」にしても、たとえ祖父から五平餅を焼く技術伝承があったところで孫たちが生涯店を存続させていくことは不可能であろうことは既にわかっている。

鈴愛の幼なじみの律の家は写真館を営むものの、こちらもカメラの普及で心もとない。だからこそ、律は大学に進む。

ふくろう商店街の存在は故郷としては大事なものであるが、日本各地の地方の商店街同様、若者流出と地域の居住人口減少により縮小していく運命にあるのだ。

コネ就職の結果

鈴愛は大学や専門学校進学を目指す同級生たちとは別の道に進むことを決める。

実は団塊ジュニアの場合、高校卒業後就職した場合はバブルの恩恵を受け、就職自体はかなり有利な状況であった。

4年後、大学進学をした人々が就職する段になると、一気に就職氷河期がやってくるのだ。

しかし、鈴愛は家の経済的事情に気を遣いながら、大学進学の機会は弟に譲り、自らは高卒で働こうと決心するも、地元で就職しようにもうまくいかない。

何社も落ち続けた結果、最後の望み、地元の農協に就職が決まる。しかし、これは祖父仙吉のコネだった。

珍しいことではない。実際、この時代までは「コネ就職」「縁故採用」が当然のごとく行なわれていた。

筆者は88年に大学卒業をし、鈴愛の就職活動とはほぼ同時期だが、同級生は続々「コネ」で就職が決まっていった。

「女子大生ブーム」「お嬢様ブーム」の時代である。親の「コネ」があることは一種のステイタスであった。

「コネ」なしで証券会社に就職した友人は入社式の時に「コネの人」と「コネ以外の人」が区別され、分かれて集合させられたことにショックを受けていたが、それが当然として受け入れられていた時代でもあった。

 

また、女性の就職においてはあからさまに男性社員の「嫁候補」確保が目的とも見えるように上場企業の多くは「自宅生以外不可」という就職差別を堂々行なっていた。

1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されるが、それ以降、つまり、これは鈴愛世代に至っても、こうした状況は続いていたのである。

これは必ずしも適材適所が就業機会を得られた訳ではないことを示している。

会社から見ても欲しい人材ではない場合も多々あったことだろう。当然だがパフォーマンスは落ちる。業績も低下傾向となってもそれは当然である。また86年には「労働者派遣法」も施行となり、労働市場の変化も始まった。

高卒で比較的楽に仕事を得られた鈴愛世代も、その後バブルが崩壊すると会社が倒産、リストラ等のあおりを受けて、職業人生は紆余曲折となっている場合も多い。

企業も新しい人材の育成に資源をさける余裕もなく、社員への過剰労働が常態化して行く。

思えば、雇用政策の検証が十分にできず、過労死等の問題も起る元はこの時代から始まっているのである。