―浅田真央さん、小塚崇彦さん、安藤美姫さんはじめ、日本のトップフィギュアスケーターを育ててきた佐藤信夫コーチ(76歳)。
『諦めない力』には、日本のフィギュアスケートの歴史とともに、コーチとしての指導哲学、選手との知られざる秘話が綴られています。ご執筆の動機は何でしたか?
今年はコーチ生活50年、フィギュアスケートを始めて65年。そういう数字的な区切りがあったので、この機に、自分の考えをまとめておこうと思いました。
僕が初めて滑ったのは1953年、小学校5年生の時。戦前にスケートをしていた母親が、戦後、お世話になっていた先生のレッスンを手伝うことになったので、僕もリンクについていくようになったんです。
この先生の滑っている姿とエッジの音が、今でも良いスケートのお手本として、自分の中に残っています。最初に見たものって刷り込まれるものなんですよ。だから僕も、子供たちに初めてスケートを見せる時は真剣になります。
―当時と今では、フィギュアスケートの環境も技術も全く異なっていたことが本書を読むとよくわかります。
我々の時代はスポーツよりも学校が優先でしたから、練習量も限られていましたし、情報もない。僕はジャンプの映像すら見たことがありませんでした。
唯一の手がかりは「パラパラ写真」。先生がアメリカの選手のジャンプを16ミリのフィルムで撮り、1コマずつ焼いた写真を連続で見て、参考にしていたんです。
それからリンク環境も今とは全く違って、氷を整える「整氷車」はありません。ツルツルの氷で滑ることができるのは、リンクが開いた直後の1時間くらい。後はガタガタの氷で滑っていました。
―そんな環境の中、佐藤さんは日本人で初めて、ISU(国際スケート連盟)の試合で3回転ジャンプを成功させました。1965年の時です。それから半世紀余りたった今年の平昌オリンピックでは、男子は熾烈な「4回転」バトルが繰り広げられました。
平昌はどうご覧になりましたか?
人間の能力はどこまで向上するのだろうと、率直に言って、驚きましたね。フリーで4回転ジャンプを4回も5回も跳ぶなど、僕らの時代からは想像もつかないところまでフィギュアスケートは進化しています。
今後、5回転にチャレンジする選手も出てくるだろうと思いますし、女子も4回転を跳ぶようになるでしょう。ただ、その分、選手の低年齢化が進むと予想されます。
一方で、平昌に出場したカロリーナ・コストナー選手(31歳、イタリア)のように、年齢を重ねても、スケーティング技術で勝負できる選手もいます。僕は個人的にコストナー選手の大ファンなんです。