2018年6月12日、朝日新聞東京本社にて。左から2番目が國分氏、右から2番目がマルクス・ガブリエル氏

哲学的になりすぎないこと~マルクス・ガブリエル氏との対談を終えて

ドイツの若き天才と言われる哲学者、ドイツ・ボン大学のマルクス・ガブリエル教授が来日し、國分功一郎氏と「民主主義」について語り合った。対話を経て、國分氏は哲学者であることの意味を改めて考えさせられたという。氏が対談を振り返り、いま日本で民主主義について考える際の勘所を論じる。

「価値」と「知識」の重要性

先日、日本を訪れていたドイツ・ボン大学教授で哲学者のマルクス・ガブリエル氏と、公開の対談イベントを行う機会があった。氏は世界的なベストセラーとなっている『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)で日本でもその名を知られつつある。

10日ほどの滞在だったとのことだが、本人に聞いてみると恐ろしいほどの過密スケジュールであった。スケジュールの合間を縫って、このような機会に臨んでくれたガブリエル氏にまずは心からのお礼を言いたい。なお当日の模様はかなり詳細に朝日新聞デジタルで紹介されているのでぜひそちらも参照していただきたい。

対談のテーマは民主主義であった。ガブリエル氏が民主主義を論じる中で強調した点は二つある。価値と知識である。

 

まず価値についてだが、数ある民主主義的な価値の中でもとりわけ強調されたのが「平等」であった。社会の中で平等が実現されていない限り、民主主義はあり得ない。価値はまた権利をもたらす。たとえば平等という価値を根拠にすることで、人は自分が被っている不当な措置に対して異議申し立てする権利を得る。

この主張そのものは特に新しさのないものに思えるかもしれない。しかし興味深いのはガブリエル氏がこの価値の根拠を「事実」と述べたことである。

氏の議論においては、「事実fact」、「価値value」、「権利right」がある意味で等号で結ばれている。氏は例として、子どもを虐待してはならないという価値(判断)は、子どもを虐待してはならないという事実から導き出せると述べた。

この例の場合、事実から価値を導き出す推論は確実とは言えないが、かなりの確率で成功するであろう。だが、事実からの価値の推論が一般的に可能であるかどうかはより議論を深めねばならないところである。

はたして価値は事実そのものの内に埋め込まれているのだろうか。一見したところありふれたもののように思える氏の議論は、実は興味深い難問を提起していることに注意せねばならない。

マルクス・ガブリエル氏

もう一つ、氏が強調した知識とは、民主主義の中で様々な論点を議論していくために絶対に必要な条件のことを指している。

氏は現在ドイツで論じられている大麻の合法化を例にあげた。知識がなければこれについて何も論じることはできない。人はただ、最初に漠然と得られた「そうすべきだ」「そうすべきではない」という感想を繰り返すだけになってしまう。

ありきたりの提案と思われる方もいるかもしれないが、ガブリエル氏は公聴会という制度をもっと利用すべきだと提案している。様々な分野の専門家がその知識を人々と共有し、討論するための場である。

また単に公聴会を開くだけではうまく行かないことは目に見えているから、与党側の推薦する公聴会のメンバーの数を野党側の推薦するメンバーの数よりも少なくするという非常に具体的な提案もしていた。私はこの具体的提案に大いに賛同する。