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上京しなくても夢が叶う国に…地方を劇的に復活させる「逆転の一手」

中国の「地味な街」がくれるヒント

「仕事」と「住む場所」の密接な関係

半年ぶりに帰省して実家の周りをぶらつく。筆者の実家は、今や名古屋市のベッドタウンとなった愛知県一宮市にある。

同市は1970年代までは繊維産業で栄えた。アーケード付きの商店街は、行き交う人々でごったがえしていた。母校の一宮西高校には定時制課程があり、繊維工場で働きながら学ぶ女子高生が数多く在籍していた。

1980年代後半から、同市では急速に産業が衰退した。繊維工場は次々と閉鎖され、貸し駐車場となった。母校の定時制も廃止。商店街では一部のアーケードが取り外され、店のシャッターがひとつ、またひとつと下りていった。いつのまにか、目立つ建物は病院ばかりになった。

よくある光景だ。一宮市だけが特別に衰退したわけではない。バブルの頃を境に、日本各地で製造業が衰退し、サービス業などへ転換した。

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これは日本独特の現象でもない。カリフォルニア大学バークレー校教授の経済学者エンリコ・モレッティ氏によれば、製造業の衰退と地方の衰退は、英国、ドイツ、米国、韓国など先進国全てで起こっている現象である。

モレッティ氏は、米国の製造業衰退の事例として、リーバイスを挙げている。19世紀半ばに創業され、同国の象徴的存在であったリーバイス。しかし、2003年までに同社の米国工場はすべて閉鎖となり、製造拠点はアジアにシフトした。

世界中の先進国で、地方の衰退と製造業の衰退を結びつけた議論がなされている。モレッティ氏は言う。

「製造業保護活動家たちは、歴史の大きな流れに逆らっている。(中略)11世紀はじめにイングランドの王位に即いていたクヌート王は、海に後退を命じたが、海に言うことを聞かせることはできず、溺れかけたと言い伝えられている」

モレッティ氏の名著『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』。同氏はこの本で、各人の年収が、学歴や職業でなく、どのエリアで勤務・生活しているのかということに大きく影響を受けていることを詳述した。

人間が移動し、住む場所を変える背景には、仕事(転職、就職、転勤など)、入学、結婚などがある。最も人々の移動に影響を与えるのは、いつの世も仕事だ。人々はより条件の良い仕事を求めて動く。

モレッティ氏の言うように年収が「住むところ」で決まるのであれば、より良い就業機会を求めて、就業機会の多いところ(都市部)に人々が移動するのは自然の摂理である。逆に言えば、より良い就業機会を提供することが難しい地方が、人を呼び込むことは容易ではない。こうした自然な流れを人為的に押しとどめようとすることは、上述のクヌート王と同じ失敗に陥ることとなる。

 

普通の街が「知的産業の集積地」に

話は変わって、中国の大連。戦前の満州国、あるいは芥川賞を受賞した小説『アカシヤの大連』など、日本人にとっては、なじみのある都市である。

しかし大連は、中国全体でみると人口が第20位ぐらいの中堅都市。ちなみに、日本で人口20位前後の都市は、神奈川県相模原市や岡山県岡山市など。そう言えば何となく、読者の皆さんにもイメージができるのではなかろうか。

そんな中堅都市・大連の魅力は、日本語人材である。大連周水子国際空港から車で30分ほど行くと、巨大なビル群が見えてくる。

「大連ソフトウェアパーク(DLSP)」と呼ばれるこのエリアには、日本語や韓国語など外国語を流暢に操り、日本や韓国の企業のアウトソースビジネスを手掛ける専門企業が集積している。一説には、大連には日本語を使ってビジネスを行うことができる人材が10~20万人いると言われている。

クライアント企業の業務の一部を受ける(アウトソース)。この仕事を専門的に扱う企業をBPO(Business Process Outsourcing)企業と呼ぶ。大連のDLSPはこのBPO企業の宝庫であり、彼らの主要顧客はもちろん日本企業である。世界的に見ればインドのバンガロールや東欧(ルーマニアなど)がBPO企業の集積地として有名だが、日本語人材という点では大連が唯一無二の選択肢となっている。

BPOと聞くと、コールセンターのような単純作業の下請けと思われがちだが、実態は我々の想定をはるかに超えている。

例えば、ある日系自動車メーカーの原材料や部品の仕入れ・購買は、ほぼ全て大連のBPO企業が行っている。しかも、その発注はロボットによる自動化済み。大手日系住宅メーカーは、顧客向け提案資料の作成のほぼ90%を大連BPO企業に発注している。

筆者は今年もすでに3度DLSPを訪れた。広大なオフィススペース、日本語を使って黙々と作業する数千人の中国人。大連はまさに「ホワイトカラーの工場」である。しかも、ここでは、単純作業ではなく、知的作業のアウトソースが急増している。今ではBPOではなく、KPO(Knowledge Process Outsourcing)と呼ばれたりしている。

結果として、何の変哲もない中堅都市だった大連は、国際的な競争力を持ち、ユニークな輝きを放つ都市へと変貌した。