講談社の祖・野間清治が「人生の行き先」を見出した瞬間

大衆は神である⑦

上州の貧しい家から、東京帝大書記を経て、戦前日本を席巻するメディア・コングロマリット「大日本雄弁会講談社」を生み出した男——野間清治。

その豪快なビジネスセンスと、鮮やかな立身出世を賞賛する文献は少なくない。しかし彼の生い立ちやほんとうの人柄は、これまであまり詳らかにされてこなかった。 ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、日本の出版業界と近代社会の黎明の光と陰を追う大河連載「大衆は神である」。

第7回は、清治の活発な青年期を振り返りながら、「人生の行く先」をおぼろげながら見始めた瞬間を描く。

あの有様でいったなら……

高等小3年になると、清治は賭け弓に夢中になった。学校の帰り道、庶民が弓を引いて遊ぶ矢場(やば)があった。そこに通ううち巧くなり、清治と金を賭けて勝負しようという質屋の若旦那が現れた。

一勝負の賭け金は1円(現在の貨幣価値で数千円だろうか)である。むろん清治には金がないから、清治の腕を見込んだ糸屋の主人が賭け金を出す。清治が勝てば、糸屋の主人が賭け金をとり、清治に鰻丼や天丼をおごってくれる。

たいていの人間は金を賭けると、緊張して的に当たらなくなるが、清治は平気だった。もともと肝が据わっているのだろう。ここぞというときには勝った。回を重ねるごとに腕を上げ、しまいには、清治の賭け弓の強さが街なかで評判になった。

好雄は、清治が賭け弓をしているのを知らなかった。ある日、桐生市街の菓子屋の前を通ったら、そこの主人に呼び止められた。主人は弓が得意で、矢場に始終出入りしていた。

 

彼は好雄に言った。

「息子さんは賭け事がたいへん上手だ。大人が(金を賭けて)のってもビクともしない。あの有様でいったなら、将来恐るべきばくち打ちになる。ぜひ、今のうちにやめさせたほうがいい」

菓子屋の主人の予言は将来、少しちがう形で当たることになるのだが、それはさておき、好雄は驚きで真っ青になって家に帰った。そうして涙ぐみながら清治に、

「お父さんが、お前に、てのひらを合わせて頼むから、矢場だけは行かないでくれ。その代わり(長屋の)裏に地面を借りて矢場をこしらえてやる。弓も矢も買ってやる」

さすがの清治もそれから賭け弓をやめ、好雄が作ってくれた矢場で友だちといっしょに弓を引いて遊ぶことにしたという。

好雄と文は、近所の人々が不審がるほど清治の教育に熱心だった。当時の新宿村では尋常小の4年間で終わる子が8~9割だったのに、清治を高等小学校に進学させた。

そのうえ清治が高等小2年の半ばになると、漢文と英語の塾にも通わせた。一家の経済状態からすれば、相当無理な出費である。なぜ、そうまでしたのか。