なにかと誤解されやすい海賊についての「本当のこと」

日本海賊の地を歩いて分かった
山内 譲 プロフィール

ちなみに、江戸時代になると黒潮が流れる熊野灘では捕鯨業が発達する。熊野海賊の統率者の中には鯨猟の「宰領」(リーダー)に転身する者もいたという。そしてかつて川湊と航路をにらんでいた丘陵上の城は、鯨猟の山見番所として再利用されていくことになる。

熊野灘捕鯨文化継承協議会事務局 日本遺産『鯨とともに生きる』 プロモーション動画より

城跡に登って沖行く軍船の動きを思い浮かべるのは、海賊史の旅の楽しみの一つであるが、熊野では、潮吹く鯨を想像するという楽しみがもう一つ加わることになる。

もはや紙数が尽きたが、いうまでもないことながら、海賊は九州の西海や熊野灘だけに存在していたわけではない。

 

海賊の本場は何といっても瀬戸内海であるし、江戸湾(東京湾)や伊豆近海にも戦国大名配下の海賊がいた。

瀬戸内海では、芸予諸島に点在する、村上海賊の「海城」の景観が見ものであるし、関東では、西伊豆の入江に臨む城が北条氏の海賊の拠点の様相をよく伝えている。

読書人の雑誌「本」2018年7月号より