Jユース出身者の数で見る、いまの日本代表の「ほんとの強さ」

データで楽しむ日本代表トリビア③
戸塚 啓

中村俊輔と本田圭祐はハイブリット型

日韓W杯のメンバーとその同世代は、4年後のドイツW杯でも最大勢力となった。このため、ドイツW杯の23人のうち高卒は16人、ユース出身は5人と、日韓W杯とほぼ同数となっている。

大卒選手は4年前よりも少ない。DF坪井慶介(福岡大)、FW巻誠一郎(駒大)のふたりだけだ。

 

ジーコ監督が興味を示しながら招集を見送った選手も、高卒選手が大半を占める。W杯直前のケガでメンバーから外れたDF田中誠(清水商/静岡)をはじめとして、MF長谷部誠(藤枝東/静岡)、本山雅志(東福岡/福岡)、松井大輔(鹿児島実/鹿児島)、FW久保竜彦(筑陽学園/福岡)、大久保嘉人(国見/長崎)らは、高校からプロ入りした選手たちである。

高校サッカーとユースチームがカテゴリーを越えて対戦する大会として、1990年から『全日本ユース選手権』が開催されている。歴代優勝チームを見ると、1989年のプレ大会から1998年までは高校勢がズラリと並ぶ。1999年にジュビロ磐田ユースが優勝したものの、翌2000年から2003年までは再び高校の名前が並んだ。

プロサッカー選手へのルートとして、Jリーグの育成組織がサッカー少年たちの選択肢となったのは間違いない。一方で、高校サッカーが抗いがたい魅力を維持してきたのも事実である。毎年冬に行なわれる高校選手権は、少年たちを惹きつけて離さない。

高校とユースには、間口の違いもある。

高校の部活動は基本的に入部を断られないが、ユースは少数精鋭だ。そもそもジュニアユースからの昇格がほとんどなので、高校入学のタイミングで部活からユースへチームを変える選手はほぼいない。また、ユースは30人前後で構成されており、1学年あたり10年前後の少数精鋭となる。

中村俊輔の経歴は特徴的だ。2006年と2010年のW杯で背番号10を背負ったこのレフティーは、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)のジュニアユースからユースへ昇格できず、神奈川県の桐光学園へ進学した。ここで全国選手権に二度出場し、横浜F・マリノスへスカウトされたのだった。中村をはしりとしたクラブと高校のハイブリッドとも言うべき選手──日本ならではの選手育成の形が、ここから日本代表を支えていくことになる。

W杯のメンバーで高卒選手が優勢なのは、2010年の南アフリカW杯でも変わらなかった。三都主と同じようにサッカー留学生として渋谷幕張高(千葉県)へ入学し、のちに帰化した田中マルクス闘莉王を含め、23人のうち16人が高卒選手である。

南アフリカでベスト16入りを後押しした本田圭佑も、高卒選手のひとりだ。ガンバ大阪のジュニアユースからユースへ昇格できなかった彼は、星陵(石川)で力をつけて名古屋グランパスへの入団を勝ち取る。南アフリカW杯当時は、ロシアの強豪CSKAモスクワでプレーしていた。彼も日本式のハイブリッドである。

ユース出身は3人だ。DF駒野友一(サンフレッチェ広島)、MF稲本、阿部勇樹(ジェフユナイテッド市原、現ジェフユナイテッド市原/千葉)である。さらに加えて、東京ヴェルディのジュニアユース所属当時にトップチームへ引き上げられ、ユースを経ないでプロになった森本貴幸もいた。

大卒選手は3人いる。DF岩政大樹、長友佑都、MF中村憲剛である。

彼らには共通点がある。高校時代までは全国的に無名だったものの、大学サッカーでレベルアップを果たしたのだ。長友は明治大学卒業を待たずにプロの世界へ飛び込み、反町康治監督のもとで08年の北京五輪に出場し、五輪後は日本代表でも定位置をつかんでいった。