大阪北部地震を地震学者はどう見たのか

注目される慶長伏見地震との関係
遠田 晋次 プロフィール

なぜ大阪で地震が起きたのか

図3は、大阪市街地を縦断する上町断層帯を捉えた探査断面です。

  図3 大阪市直下を通る上町断層帯の反射法地震探査断面(杉山、1997)

大阪平野は、地球が数万〜10万年周期で温暖化と寒冷化を繰り返した影響で、海の侵入(海進)と海岸線の後退(海退)が交互に起こってきました。海進期では粘土層が、海退期には陸から供給される砂礫が交互に堆積しました。大阪平野直下では130万年前頃からそのような状況が繰り返され、最大で約2000メートルもの堆積物が縞状(礫層と粘土層の繰り返し)に堆積しています。

これらの地層はひとまとめにして、大阪層群と名付けられています。

探査だけでは地層の詳しい年代はわかりませんが、大阪平野では多数のボーリング調査との組み合わせで、地下での上町断層帯の動きが推定されています。その結果、上町断層帯は約0.4ミリメートル/年の上下変位速度で活動してきたことがわかっています。平均活動間隔が約8000年と推定されているので、地震発生時には約3メートルの縦ずれが生じることになります(0.4ミリメートル/年×8000年)。

地震は連鎖する

2016年4月の熊本地震では、28時間差でM6.5、M7.3の地震が発生しました。たしかに1市町村が短時間に2度の震度7に見舞われることはきわめて異例なのでしょう。その意味では、観測史上例がないという気象庁の発表には頷けます。

しかし、近傍での短時間の連鎖型大地震は国外に複数例があります。歴史地震まで含めると我が国でも発生しています。

地震活動には数十年単位で活動期と静穏期があります。この地震活動の変化は、広域での応力蓄積と解放過程の波によって生じていると考えています。

諸大名が下克上で争った戦国時代、とくに豊臣秀吉統治の時代は、まさに地震の活動期でした。2つの内陸巨大地震が西南日本を襲いました。1586年(天正13年)に北陸・東海・近畿の広い地域を揺らした天正地震と、1596年(慶長元年)に近畿地方を襲った慶長伏見地震です(図4)。

  図4 秀吉の時代の2つの内陸巨大地震 ローマ数字で示される震度分布は宇佐美ほか(2013)に基づく。太線が震源と推定されている活断層

諸説ありますが、両地震ともM8弱の内陸大地震だったと推定されています。さらに付け加えると、1605年(慶長10年)には南海トラフ沿いで巨大地震が発生したと考えられています(ただし、この地震の揺れによる被害の記載がなく、津波地震か遠方のプレート境界が震源だったとも考えられています)。

天正地震と慶長伏見地震、わずか10年の間隔で発生した巨大地震なので、この2つの関連性を疑いますが、それぞれが複数の活断層による地震だったことがわかっています。戦国武将のドラマティックなエピソードにも関連していて、NHKの大河ドラマ「真田丸」にもこの2つの地震のシーンが登場しました。