日本の児童虐待対策があまりに的外れな「根本的原因」

これでは、救える命も救えない
井戸 まさえ プロフィール

現状は「風邪で救急車(児相)を呼んでいる」状態

このメッセージに示唆されているのは、以下4つに集約できるだろう。

1. 児相より「取次店」レベルに終始する市区町村の意識高揚、体制強化が急務
2. 市町村に機能分担をしなければ、児相に人を増やしても「砂漠で散水」
3. 街の開業医(市町村)で対応が難しい場合総合病院(児相)への紹介と、権能・役割分担を徹底化
4. 現状は風邪で救急車(児相)を呼んでいる状態

虐待児やその家族の支援をしている人々は、実は「初動」も含めこうした支援の最前線にいるのは市町村だということを誰もが知っている。そして、残念なことにその初動で失敗に至っているケースが多いということも。

最近、筆者は荒川区役所で無戸籍当事者への同行支援をしたが、成人とは言えこのケースも果たして初動が妥当だったか問われる例だった。

荒川区役所に入ると、堂々としたスローガンが目に入る。

「区政は区民を幸せにするシステムです」

その通り。

しかし、平成16年の児童福祉法改正で児童家庭相談対応が市区町村の業務となって14年あまりが経つがその「システム」は未完のまま。区政によって区民は幸せになっているのだろうかと、帰路思わずにはいられなかった。

これは荒川区が特別なのではなく、日本全国どこでも同じようなことであると経験上認識している。

虐待児童の家庭対応が一義的に市区町村だという認識ならば、児相より先にまずそこにてこ入れしなければ事態は変わらない。

繰り返しになるがこうした案件は「初動」が大切である。

児童相談所をいくら充実させてもそこに至るまでの過程で適切な支援が行なわれなければ、支援は困難を極める。

現状では児相と市区町村では十分に機能分担も行なわれておらず、「風邪で救急車を呼んでいる状態」なのだ。

〔PHOTO〕iStock

短絡的政策の出所「ヒアリング」

児童相談所の職員はじめ現場で働く人々が感じている切実な思いは伝わらないまま、虐待事件が起こると非難は児童相談所に集中する。

さらに事件を受けての「対応策」は彼らの思いとは真逆とまでは言わないが、少なくとも改善されることへの担保が十分だとは認識されないもの、むしろ不安を感じる内容のものになる。

その不十分な対応策が今開発された特効薬のような短絡的な文脈で捉えられ、事件に心をいためる人々の間等でも肯定的にシェアされて行くことにも危機感を持つ児相関係者は多いと思う。前出の元児相所長はだからこそ自分の気持ちをメッセージに込めて吐露したのだと思う。

しかし、そもそもの問題として、なぜわざわざこんな「ど真ん中を外した政策」が作られるのだろうか。

 

その原因のひとつは政治関係者が行なう「ヒアリング」にあると思う。

こうした事件や事故等が起こると、国から地方自治体に至るまで行政をチェックする議会に属する議員たちは対応策の検討に入るが、施策の根拠となる当事者の状況を知るため、諸処のヒアリングを行なうのが常である。

実はこれがくせ者。事態を前に進めることもあれば、逆に大真面目に効果の出ない政策を議論することになったりするのだ。

こうしたヒアリングに対し指摘したい問題のひとつは対象者についてである。

国会で政党のヒアリングが行なわれるとき、「誰を呼ぶのか」は各党の政務調査会での担当政治家が職員に指示して対象者を決める。通常は関係省庁等に連絡をとり、意見を聞いて決めるのが基本だ。

つまり、その段階でかなりの「バイアス」がかかっているとみなければならない。

本来聞かなければならない「ドンピシャ」の当事者というよりも、連絡が取りやすい、また外からみても納得されやすい学者やその業界の著名人となるケースが多いからだ。

つまり「当事者の声を聞いた」とか「現場の状況を把握した」といっても、そもそも2次情報、3次情報が多い。それをもとに政策を組んでも思ったような効果に至らないのは当然で、これまでの施策とその結果をみれば一目瞭然である。