早稲田大学文学学術院の「面白い」講義ランキングで2年連続1位(学内講義情報誌『Milestone Express 2017、2018』調べ)! 大人気講義「人形メディア学概論」、「人形とホラー」などを担当してきた気鋭の人形研究者が、「わら人形」の謎に迫る。
皆さんはご存じだろうか。毎年秋ごろ、ヤフオクやメルカリをのぞくと、数百円というお手頃価格で手作りのわら人形が出回っていることを。
出品者の所在地を見ると、秋田、新潟、福島、山形……と米どころが多い。ある時、聞いてみたら、稲刈り後に余ったわらを利用して農家の子どもたちが小銭稼ぎに売っている場合もあるという。
そんな愉快な光景を想像しつつ早速いくつか購入し、担当する講義に持参するわたし。
そして「今日は特別ゲストが来てくれました」などとうそぶきながら、学生たちに届いたばかりのわら人形を見せる。すると彼らはたいてい、ひきつった笑顔でこちらを見つめたりばつ悪そうに目をそらしたりしている。どうやらこわいようだ。
不思議な話である。だってこれは、わたしが数日前にネットで買った、農家の子どもが戯れに作ったわらの塊じゃないか。
そんなことを説明しながら、試しに教壇の高いところからわら人形を落としてみたり、学生のいる座席にぽいと放り投げてみると、教室のそこかしこで悲鳴が上がる始末。ぼそっと「呪われますよ」と丁寧な忠告をしてくれる者もいる。
ここで講義を終えてしまったら、わたしは教室でわら人形に乱暴するヤバいおじさん以外の何者でもない。
そこですかさず、実はこうしたわら人形を巡る態度にこそ、人形や呪いとわれわれの今日的関係を考えるための重要なヒントが隠されているのだと告げ、講義を始める。
なぜわたしたちは、わら人形をこんなにこわがってしまうのだろうか?
どうして平成も終わろうとしているのに、呪われるかもなどと感じてしまうのだろうか?
まずは過去から現在に至るまでのわら人形文化史を簡単に確認しておきたい。
わら人形と聞くと多くのひとが思い浮かべるのが丑の刻参り(うしのこくまいり)ではないだろうか。
丑の刻とは、いまでいう午前2時前後の2時間。以下の工程を行なうとされる。
白装束を着て、顔に白粉、歯はお歯黒、濃い口紅、頭に鉄輪(かなわ)を逆にかぶり、その3つの足にろうそくを立てて口に櫛をくわえ、胸に鏡をつるして神社のご神木や鳥居に藁人形を五寸釘で打ち付ける。
これを連日繰り返すと、7日目の帰りに黒い牛が寝そべっており、それをまたぐと完了。なおこの様子を誰かに見られた場合効果は失われる(見た者を殺せば問題なしとする説もある)。
こうした手順は地方や時代によって差があるが、屋代本『平家物語』「剣の巻」、謡曲の『鉄輪』などに登場する「宇治の橋姫」伝説を原型のひとつとし、さまざまな要素を盛り込んで江戸時代頃におおよその形ができたといわれる。
昨今でも、テレビの心霊番組や、映画『愛の陽炎』(1985年、いとうまい子主演)、『陰陽師』(2001年、野村萬斎主演)、またアニメ『地獄少女』(2005年~)等のフィクションの題材として知っているという人は少なくないだろう。
一方、上記の作品等での描かれ方もあってか、わら人形と聞くと「ああ、あれね」とにやけるばかりで、真剣に取り合ってくれる人は希少だ。
だが実は十分"現役"の存在でもある。