『万引き家族』の是枝監督が「入浴シーン」を撮り続ける深い理由

「風呂の水」は血よりも濃い
伊藤 弘了 プロフィール

作品間に張り巡らされた「つながり」

『海街diary』の三女(夏帆)は作中で何度か釣り竿を振るう仕草を見せる(そもそも物語の舞台が海のそばに設定されている点に、すでに是枝的主題が見出せる)。彼女が釣り好きの人物に設定されているのは単なる偶然ではなく、この要素には三女と亡くなった父親を結びつける重要な機能が託されている。

三女は父親が釣りを好んでいたことを、異母妹の四女(広瀬すず)から聞かされる。父親は、三女が幼い頃に愛人と家を出ているため、彼女自身には父親が釣りをしていた記憶はない。

だが、四女の話を聞いて、そこに間違いなく親子の繋がりが存在していたことを悟るのである。また、その話を伝えるのが腹違いの妹である点も重要だろう。彼女たちは、釣りをめぐる死者の思い出を共有することで姉妹としての精神的な結びつきを強める。

釣りは、『そして父になる』にもあらわれる。タワーマンションのベランダで魚釣りの真似事に興じる親子三人(良多、みどり、琉晴)の様子が捉えられているのである(写真)。仕事人間の良多は、家族をアウトドア活動に連れ出すことができないため、部屋の中でテントを張り、擬似的にキャンプ気分を作り出そうとする【写真5】。

【写真5】『そして父になる』

ここでポイントとなるのは、屋内で繰り広げられるこの疑似アウトドア活動が、それを楽しんでいる彼ら家族の関係もまた擬似的なものにすぎないのではないかという不穏な問いを喚起する点だろう。

この場面で画面上にあらわれる三人は、是枝作品には例外的な、血のつながった家族である。是枝にとって、やはり血のつながりは家族の成立を保証するものではないのだ。いつか一緒に風呂に入れるようになったとき、彼らは本当の家族になれるのかもしれない。

『万引き家族』では、釣り竿は単に万引きの対象の一つに選ばれているだけでなく、父親と息子が並んで釣り糸を垂れる終盤のシーンを準備している。その意味については、映画を鑑賞して、ぜひとも各人で考えてみて欲しい。ここまでの議論がその助けになるはずである。

 

この記事では、入浴シーンに特化して是枝作品の読み解きを行った。記事の最後には、入浴に類するものとしてプールや海水浴、釣りにも触れたが、是枝の作品には、こうした細部のつながりが他にも数多く存在する。

是枝自身は、しばしば好んで「大河の一滴」という比喩を用いる。これは自分が映画の歴史のなかに生きている実感を言いあらわすための言葉だが、是枝の作品に散りばめられた種々の細部もまた、相互に連絡を取って結びつきあいながら、大きな流れを形成しているのである。

(文中敬称略)