だが、こうした政治の劣化、政策の劣化にもかかわらず、国民はなぜこんな自民党を支持し、安倍政権を支持しつづけるのか。
私はこう見る。
みんな、この国の国民は、自民党が好きなのだ。
自民党は、55年体制以来、この国を支えつづけた政党であり、もはやこの国そのものと言っていい存在だ。
誤解を恐れずにいえば、戦艦大和のようなものである。
戦争は嫌いでも、戦艦大和はこの国を象徴するものであり、プライドでもあり、否定できないものだ。
だからそれに対し、民主党など新たな政党が出てきても、「それはちょっと違うよね」、「偉そうに、何様のつもりだ」と、どうもそういう感覚が出てきてしまうようなのだ。
しかもそこに、2010年代には国民の間で妙な不安が広がってしまい、寄らば大樹の陰で、自民党への奇妙な信頼感が醸成されてしまった。
そこには2011年東日本大震災・福島第一原発事故の影響もある。当時の民主党政権に震災・原発事故の責任が押しつけられ、その反動で自民支持が潜在的に強まってしまった可能性さえある。
それゆえ、自民党以外の政党は今、基本的には自民党には勝てない。
政策の良し悪しではない。その人の政治的資質でもない。ある意味で、自民党ではなければ選挙に負けるのだ。ともかく、選挙に勝つためには自民党から出る方が絶対的に有利なのである。
それに対し、自民党自身が多様な考えを包摂し、自由な議論を実現し、また「おかしなものはおかしい」という清廉さをしっかりと保っている限りは、政治はおかしなものにはならない。
しかしそれが、二大政党制を目指すべく取り入れた改革によって自民党自身にも変質をもたらし、異論を廃し、執行部の命令に逆らえないような絶対的体制が作り出されてしまった。
国民が思っているよりも根深いところで、自民党の自由や民主主義は硬直してしまっているのである。
だが国民はそれに気付かず、選挙を通じて繰り返しこの体制を支持しつづけてきた。そうしたいびつな政治過程が展開した果てに、モリカケ問題のようなものが現れたとみることができる。
こうした日本の政治の頂点にいるのが安倍総理である。
そしてこの安倍晋三氏こそ、政界のサラブレットであり、血筋の通った人物なのであった。
日本国民の一番好きそうな人物。頼っていれば安心だと思える人物。それが安倍総理だというわけである。
だから、そんな人が嘘をつくはずがないし、清廉潔白だとみな思っている。
いや事実、本人自身は清廉潔白なのだろう。少なくとも昨年のある国会答弁の時点までは。
だが、決定的権力を握るリーダーほど、気をつけなければならない能力に、どうも欠けていたのだろう。
それは、事実を誇大化したり、勝手に忖度をして、権力を権力者の意志とは別のものに利用しようとする悪者を見抜き、権力の暴走を未然に阻止する能力である。
権力は、善いものだけでなく、悪いものを引き寄せる。むしろ悪いものの方がより集まってくる。権力が強大化すればするほど、そうした悪い勢力を適切に見抜き、悪い力が政治や行政に入り込むのを止める力を強めなくてはならない。
おそらくそうした力に乏しいことが、こんな結果を生んだのだ。
それでもまだ幸い夫人や無二の親友など、暴走は最も近しい人の近辺にとどまっている。そして個人的に見れば、夫人にも加計氏にもそこまで根深い悪意はないと私は思う。
政治・政策の劣化や行政の暴走が生じていても、事態はまだ最悪までには至っていない。安部総理には、自分が犯した失敗を、まだ未然のところで防ぐチャンスが残されている。
だが、総理を支える自民党も、国民も、総理におもねるだけで、総理のために本当に必要なことをやってくれる気配はない。なすべき決定は総理自身がせねばならないが、総理には自分の間違いを認める度量はないようだ。
事態はこのまま悪化の一途をたどるだろう。