士官候補生の青春、防衛大学校「卒業ダンスパーティー」に潜入!

「アカシア会」の伝統をご存知か
伊藤 明弘 プロフィール

この卒ダンは、外部から参加し、とくに防大内では不足しがちなダンスの女性パートナーをつとめた人々にも、強い印象を残しているようだ。かつて、日本大学藝術学部在学中に卒ダンに参加したというアナウンサーの中井美穂さんは、当時の思い出をこう語った。

「ダンスパーティーが映画のワンシーンのような別世界に感じられました。ダンスパーティーと言われるものに出席したのは生まれて初めてで、もちろん男性と組んで踊ったことも、あとにも先にも、、あの1回だけでした」

[写真]壮麗なダンスパーティーの会場(写真提供:伊藤明弘氏)壮麗なダンスパーティーの会場(写真提供:伊藤明弘氏)

実はそのとき、中井さんのパートナーとなったのが、防衛大学校の坂口大作教授(国際政治学博士)である。当時の様子を聞くと、坂口教授は遠くを見つめるように、「学生時代から中井さんは女性アナウンサーになりたいと語っていた」とコメントした。

 

旧軍の大物がダンスパーティーに「怒鳴りこみ」?

このように、華やかで明るい「アカシア会」だが、世間に輪をかけて「堅い」防衛という世界にあって、その設立当初には、さまざまに興味深い経緯があった。ここからは少し、歴史の話にお付き合いいただきたい。

1957(昭和32)年、東京ステーションホテルで行われたダンスパーティーに、ある御仁が乗り込んだ。世に名高い(?)「防大パーティー怒鳴りこみ事件」である。

怒鳴りこんできたのは、元陸軍参謀にして、ノモンハン事変、ガダルカナル作戦やインパール作戦の主導者として名を馳せた「作戦の神様」であり、戦後は政界に転身して衆議院議員をつとめていた、辻政信(元大佐)であった。

翌年、辻はこの件で、わざわざ槇智雄校長を呼び出した。その公式記録が残っているのだ。下記は、1958(昭和33)年3月の内閣委員会議事録より、原文ママで引用するものである(一部、読みやすさのため改行等を加えました)。

* * *

辻委員 大学の校長の槇先生、ちょっとこちらへおいで下さい。

校長にお伺いしますが、防衛大学の中にアカシヤ会というものがあって、ダンス部を作っておられるのじゃありませんか。ダンスは自衛隊の幹部に必須の社会人の教養という意味でお作りになっておるのかどうか、それを承わりたい。

槇説明員 ただいまの御質問に対してお答えいたしますが、これは防衛大学校内におきまして、学生の少数の者がやっていることでございます。だが防衛大学校といたしましては、やはり婦人との交際というものも教育のうちの大事な部分を占めると思っております。

これをどういうふうにやっていくかということは年来の問題でございまして、十分考慮いたしました結果、慎重に、ダンスやるならやらせるということでやっております。

[写真]いまも防大を見守る槇初代校長の像(写真提供:伊藤明弘氏)いまも防大を見守る槇初代校長の像(写真提供:伊藤明弘氏)

辻委員 それじゃ申し上げましょう。昨年の十二月十四日、ちょっと古い話ですが、私がある用件があって東京駅に参りますと、防大の制服を着た学生がたくさん玄関におりまして人を待ち合せ、そして若い女性を連れて、腕を組んで食堂に入っていった。その数があまりに多いので目についたのであります。

妙なことをやっておると思って現場へ行ってみますと、ステーションホテルの二階を借り切って、約二百名の防大の学生が、制服を着て、そうして腕から肩を露出した若い女性を抱いて、薄暗いホールで踊っておる。その踊り方がまことに上手であります。(笑声)