もし小泉純一郎が「総裁3選」されていたら、ネット右翼は生まれたか

ネット右翼十五年史【7】
古谷 経衡 プロフィール

ポスト小泉のレースは「麻垣康三(麻生、谷垣、福田、安倍)」と名付けられた4人のレースになったが、実際の2006年自民党総裁選挙では福田康夫が敗北を悟って出馬を辞退。事実上、小泉に後継指名された安倍晋三が圧勝して第一次安倍内閣が発足、小泉から政権がいわば禅譲されることになった。

しかし安倍晋三に対するネット右翼からの支持は、現在からすると考えられない事だが、意外にそこまで高くは無かった。すでに述べたとおり、当時のネット上の世論調査やアンケートでは、小泉内閣で総務大臣を歴任し、最終的には外務大臣の任についた麻生太郎を後継に求める声が沸騰していた。

 

「秋葉原と電車男」の時代へ

2006年の第一次安倍政権発足当時、当然保守層は小泉の事実上の後継者である安倍を支持し、また保守系言論人に寄生するネット右翼も概ねそれに倣ったが、ネット世論にはその後も根強く「麻生待望論」がくすぶり続け、その願望は福田康夫内閣の1年を経て2008年の麻生内閣発足を以て実現する事になる。

第一次安倍政権と麻生内閣、そして民主党政権への交代までのネット右翼の動向は、次の項で細目を見る。

安倍の電撃辞任後に鍵を握るのは、「第一次安倍政権下において、郵政選挙で追放された議員の復党」と「2ちゃんねるへの言及」および「秋葉原と電車男」の3点である。

そして第一次安倍政権の誕生、つまり2006年から麻生政権の終焉までの2009年までの約3年間は、「ネット右翼」という呼称が、良い意味でも悪い意味でも、いよいよ世間一般に認知されていった時期でもある。

2006年9月の自民党総裁選時、秋葉原駅頭での演説の様子(Photo by gettyimages)

ちなみに「変人」小泉は、いち民間人となった現在、第二次安倍政権に対して批判的な言説をとり続けている。「森友学園文書改竄問題」や「加計学園問題」についても鋭敏に政権を批判するほか、「脱原発」の姿勢を明瞭にし、第二次安倍政権の原発再稼働に反対する。そればかりか、2014年の東京都知事選挙では、自民推薦候補の舛添要一では無く「脱原発」で共闘する細川護熙候補の擁立に動き、公然と支持した。

こう考えると、あれほど保守系言論人とそこに寄生するネット右翼から熱狂的に支持された小泉内閣とは一体何だったのか、という奇妙な思いにかられる。

小泉は明らかにネット世論を黙殺していたし、実際には保守層に対する気配りや、そもそも「保守」とか「右派」とか呼ばれるようなイデオロギー自体をほとんど持たないような宰相であった。たまたま、彼の個人的信念と清和会の姿勢が、「反共タカ派」をトレースする保守層と部分的に重なっていたに過ぎない。

そう考えると、21世紀はじめに成立した小泉政権の5年半は、保守層とネット右翼が靖国公式参拝を契機にほとんど「一方的な片思い」で小泉を思慕していただけだった。小泉が目指した構造改革や郵政民営化といった目玉政策に対しては、真の意味で当時の保守層もネット右翼も無関心であった。

その証拠に、小泉の推し進めた構造改革や脱公共事業、郵政民営化などの新自由主義的・緊縮主義的性格は、麻生内閣を経てゼロ年代後半から保守系言論人とネット右翼の中で急速に勃興してきた、「反グローバリズム」を表向き標榜しつつ、実際には嫌韓・拝外思想集団の一種である「経済右翼」と筆者が命名する一群の人々によって、ことごとく否定される事となったのである。

(つづく)