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「疑似福祉施設」になっている刑務所の不合理な実態

体験者が明かす

神様に預けたお金だから

刑務所しか居場所がない人たち』は、現下の刑務所が福祉施設としての機能を果たしている面が強いことを中学生の読者でもわかるようにていねいに説明した好著だ。

この本の著者の山本譲司氏は、衆議院議員時代に秘書給与詐取事件で逮捕、起訴され1年6ヵ月の実刑判決を言い渡され服役した。

山本氏にとって刑務所は参与観察の現場でもあり、そこで目の当たりにした知的障害者や、高齢で認知症になった受刑者の実態を知り、出獄後は介護福祉の現場で働いている。自らの獄中体験を綴った『獄窓記』(2003年ポプラ社刊、現在は新潮文庫)は新潮ドキュメント賞を受賞した。

 

刑務所には、以下のような事件で実刑になった人が収監されている。

〈「あのお金は、お母さんが神様にあずけたんだ。それを返してもらっただけ。だから、僕は悪くないよ!」

刑務所で出会ったAさんは、いつもこう言っていた。彼は20代後半の男性。二度の窃盗罪で、2年6か月の懲役刑に服していた。窃盗罪で懲役刑なんて聞くと、けっこうな大金を盗んだんだろうって思うかもしれないね。

でも、彼が盗んだのは合計300円。神社で賽銭どろぼうをしてしまったんだ〉

なぜ、逮捕というリスクを冒してまで、このような小額の盗みをしたのか。その背景事情を山本氏はていねいに説明する。

〈両親は離婚し、ずっとお母さんと2人暮らしだった。彼は、お母さんと初もうでに行ったときのことをよく覚えている。賽銭箱に1000円入れたお母さんは、彼に言い聞かせた。

「神様にお金をあずけているんだよ。困ったときに、きっと助けてくれるからね」

母子2人で寄りそうように暮らしていた。だけど悲しいことに、お母さんは病気で亡くなり、彼はひとりぼっちになってしまった。

ほかに親戚も、頼れる友人もいないAさんは、障害があるために仕事が続かない。否応なしにホームレス生活をするしかなかった。そんなときに、お母さんの言葉を思い出したんだね。「神様にあずけていたお金で助けてもらおう」って。

かつてお母さんと初もうでに行った神社で、賽銭箱をひっくり返した。

最初に盗んだのは200円。近くを通った人に通報され、すぐに逮捕された。このときの裁判では、懲役1年6か月に執行猶予がついて釈放された〉

しかし、Aさんは、事件を反省するのではなく、まったく別の解釈をした。

〈「外に出られたから、やっぱり悪いことじゃないんだ」

そう確信し、また賽銭箱から100円盗んだ。今度は執行猶予中の事件だから、釈放されない。実刑判決を受け、刑務所に服役することになった。

(中略)二度目の裁判で、彼は裁判長に向かってきっぱりと言ったよ。

「まだ700円、神様に貸している」

その言いぶんは聞き入れてもらえなかった〉

こういう問題は、刑事司法ではなく、福祉行政の問題として扱うべきだ。弁護士がきちんと弁護すれば、実刑にはならないはずであるが、現行の国選弁護人制度できめ細かい弁護は期待できない。