観戦前に必読! データで楽しむサッカーW杯日本代表トリビア

中田英の最多出場試合記録を破れるか?
戸塚 啓

日本の勝利すべてにかかわったのは、ただ一人!

W杯の歴史に足跡を残している選手とは対照的に、メンバーに選ばれたもののピッチに立つことなく大会を終えた選手もいる。

GK小島伸幸、曽ヶ端準、土肥洋一、西川周作、権田修一、DF斉藤俊秀、岩政大樹、伊野波雅彦、酒井高徳、酒井宏樹、MF伊東輝悦、FW森本貴幸、齋藤学の13人だ(1998年に出場したが2002年は出場していない秋田豊のようなケースは、ここでは除外している)。

 

GKが多いことに驚きはない。

W杯ではどのチームも3人のGKを登録するが、3つしかない交代枠のひとつをGKに充てるのは、ケガなどのアクシデントに見舞われた場合に限られる。過去5度の大会では、ひとりのGKが全試合でプレーしている。

同じことはDFにも言える。1998年の斉藤、2010年の岩政、2014年の伊野波は、序列が4番目のセンターバックだった。3人目までは出場機会が見込まれるものの、4人目にまで声がかかるのはチームが緊急事態に陥ったか、戦いぶりに余裕があるかのどちらかである。

酒井高と酒井宏はともにサイドバックで、2014年のメンバーだ。左サイドバックの長友、右サイドバックの内田篤人はアルベルト・ザッケローニ監督(当時)から絶大な信頼を寄せられており、グループリーグ敗退に終わったこともあって彼らには出番が巡ってこなかった。チームが決勝トーナメントまで勝ち上がり、長友や内田が警告の累積で出場停止になったりすれば、ピッチに立つことができたかもしれないが。

チーム事情でチャンスを与えられなかったのは、伊東、森本、斎藤にも共通する。ボランチの伊東は1998年のメンバーだが、チームがグループリーグ敗退に終わり、全3試合で追いかける展開となったために、岡田武史監督はより攻撃的なカードを切らざるを得なかった。ボランチのレギュラーの山口素弘と名波浩が、揺るぎない主力選手だったことも無関係でないだろう。

2010年の森本は、チーム戦術の影響を受けた。岡田監督は守備重視のスタメンを組み、FW登録の玉田圭司、矢野貴章、岡崎、森本がサブとなった。加えて、全4試合のうち2試合は逃げ切りをはかる展開となり、選手交代の目的は追加点を狙うよりリードを守りきることになった。生粋のストライカータイプの森本は、使いにくかったと想像できる。

森本に比べると、2014年大会の齋藤は使える余地があった。0対0の引き分けに終わったギリシャ戦で、ザッケローニ監督は交代枠を使い切らずに試合を終えている。密集を切り裂くドリブラーの齋藤を起用するのに、うってつけの展開だったのだが……。

過去5回の出場で、日本は17試合を戦っている。その内訳は4勝4分9敗で、勝利は2002年のロシア戦とチュニジア戦、2010年のカメルーン戦とデンマーク戦だ。グループリーグを突破してベスト16へ進出したのも、この2大会である

日本が記録した4つの勝利に、すべて関わっている選手がひとりだけいる。稲本だ。ロシア戦では1対0の勝利を呼び込む決勝点をあげ、続くチュニジア戦もスタメンに名を連ねた。2010年の2試合はいずれも後半途中から出場し、勝利を告げるホイッスルをピッチで聞いたのだった。

2002年日韓大会の稲本。唯一、W杯での日本の4勝すべてのピッチにたった幸運児だ(photo by gettyimages)

4大会連続でメンバー入りした川口と楢﨑も、4つの勝利の体験者ではある。ただし、川口は1998年と2006年大会のレギュラーGKで、W杯の勝利をピッチで味わうことはできなかった。楢﨑は2002年大会の守護神だが、2010年大会は川島永嗣がスタメンに選ばれ、楢﨑が第2GK、川口が第3GKだった。

ゴール数は本田が最多だ。2010年で2点、2014年で1点の合計3ゴールである。彼に続くのは2ゴールの稲本と岡崎だ。稲本は2002年大会で2発、岡崎は2010年と2014年に1点ずつだ。

現在のところ、本田がW杯での得点王だ(photo by gettyimages)

彼らのほかにゴールを決めたのは7人で、1998年大会の中山雅史、2002年大会の鈴木隆行、中田、森島寛晃、2006年大会の中村俊輔、玉田、2010年大会の遠藤が、W杯の歴史に得点者として名前を刻んでいる。