日本政府はなぜ「移民政策ではない」という呪文を唱え続けるのか

歴史的に反復する論理構造
望月 優大 プロフィール

「移民政策ではない」という呪文

今年2月の経済財政諮問会議において、安倍首相は今回の新在留資格案につながる検討の開始を指示していた。当時の新聞報道にはこう記されている(産経新聞、下線は筆者)。

国籍取得を前提とする「移民」につながらないよう、在留期間を制限し、家族の帯同も基本的に認めない。

こうした首相からの指示に呼応するように、6月の方針原案には2箇所「移民政策ではない」旨の記載がある(下線は筆者)。

・真に必要な分野に着目し、移民政策とは異なるものとして、外国人材の受入れを拡大するため、新たな在留資格を創設する。

・以上の政策方針は移民政策とは異なるものであり、外国人材の在留期間の上限を通算で5年とし、家族の帯同は基本的に認めない。

さらに、方針原案公表後の記者会見においても、西村康稔官房副長官がこのような発言をしている(NHK、下線は筆者)。

「在留資格の創設は移民政策とは異なるものとして示された。政府としては、例えば一定規模の外国人やその家族を期限を設けずに受け入れて国家を維持する政策はとらない」

これらを注意深く読むと、「新しい在留資格案は移民政策ではない」という政府の主張が具体的に何を意味しているかが分かってくる。

〔PHOTO〕iStock

つまり、新しい在留資格案によって受け入れを拡大する外国人労働者には、

・5年を超える長期の在留はさせない
・家族の帯同、呼び寄せはさせない
・国籍取得はさせない

つまり、「日本で定住することを認めない」、「日本に貢献したとしてもいつかは日本から出ていってもらう」、だから「これは移民政策ではない」ということを彼らは言おうとしているわけである。

「日本人のような外国人」、「学生のような労働者」、「実習生のような労働者」に引き続き、ここでは「いつか出て行く(=移民ではない)外国人」というカテゴリーが開発され、それによって、「開く」と「閉じる」がまた新たな形で共存させられようとしている。

 

新しいアイデアの中に古いコンセプトが残響している。

それは、日系人のみの受け入れの際に明白な形で示された血統主義と財界配慮のミックスであり、産業界のニーズに応えながら日本人の自己同一性を血筋の純粋性によって担保し続けようとするメンタリティである。

政府が示した方針原案に対しては政権与党である自民党内から懸念も表明され、党の会議で「移民政策と何が違うのか政府は説明してほしい」という声も出たと報じられている(日経)。

政府が執拗に「移民政策ではない」と言い続ける背景には、意識的かどうかはともかくとして、このような歴史的文脈と反復する論理構造があったのだ。

5年も滞在を認める外国人に対して「移民ではない」、「移民政策ではない」と唱え続けるのは決して自明のことではない。

その違和感を無視せず、あの呪文を通じて私たちが集合的に確認し続けているものが一体何なのか、批判的に考える必要があるのではないだろうか。