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日本人がこれほど「自信」と「余裕」を失ってしまった歴史的理由

「はい論破!」では、不安は消えない

2011年に著書『中国化する日本』が大きな反響を呼び、「気鋭の若手論客」として注目された歴史学者の與那覇潤氏。しかし2014年に激しいうつ状態を体験し、翌年から大学を休職。2017年には離職する。

その與那覇氏が、3年間の沈黙を破って今年4月に刊行した新著『知性は死なない 平成の鬱をこえて』が、増刷で1万部を突破するなど、​いま静かな話題となっている。平成の終わりを前に、緩慢だが着実な機能不全に陥りつつある日本の「知性」を、どう見ているのだろうか。

(聞き手/現代ビジネス編集部、写真/岡田康且)

失われた「痛み分け」の美学

――『知性は死なない』では、平成のあいだに起こった「グローバル化の逆説」が大きな主題になっていますね。冷戦体制が終わり、人びとがもっと自由に考え、さまざまな生き方を追求できる時代が来るのではないか。平成は当初、そうした期待とともに始まったはずでした。

しかし実際には、「俺たちこそ社会の犠牲者だ、もっと分け前をよこせ」「あいつらはニセ被害者だ、一切の同情は不要!」といった、保護主義・排外主義的なナショナリズムが高まり、平成が終わるいま、日本人は昭和の最末期よりもギスギスしているように感じます。どうして、こうなってしまったのでしょうか。

與那覇:こうした議論をすると、往々にして「古きよき日本の伝統が、グローバル化で壊されたせいだ」と、「いや、日本社会が閉鎖的すぎて、全然グローバル化できないからだ」の両極端になりがちです。

しかし私はむしろ、日本社会の固有性と、グローバル化がもたらす普遍性の「噛みあわせ」が悪かった、と捉えるのがよいと思っています。単純化していえば、「痛み分けの美学」が機能不全に陥ってしまったことが、今日の日本社会の「いやな感じ」の源泉ではないでしょうか。

痛み分けの美学とは、以前書いた『中国化する日本』で「江戸時代に由来する『地位の一貫性の低さ』」と記したものです。

江戸時代の日本は、ちょっとめずらしい身分制社会になっていて、「決定的な勝ち組」がどこにもいない。政治的な権力のある武士は、経済的には実は貧乏で、逆に裕福な商人には、政治的な実権がまるでない。そのうえ高い知力を持つ知識人には、権力もお金もない(苦笑)。ある指標で見た際の勝ち組は、別の指標での負け組になっている、つまり「痛み分けする身分制」だった。

近世史の専門家である磯田道史さんは、この構図を「誰かに勝ったら誰かに負ける」という意味で「ジャンケン」に喩えられているそうですが、それが日本社会の「美学・価値観」として定着したことを考えると、「ドラえもんの世界」と言った方がわかりやすい気がしますね(笑)。

ガキ大将のジャイアンの家はふつうの八百屋で、豪邸に住む大金持ちのスネ夫の方がパシリをしている。主人公ののび太はドラえもんと住んでいること以外、取り柄が何もない。だけど、最後にしずかちゃんと結婚するのはのび太くんである。

ひと昔前までのハリウッド映画だったら、才能ある主人公が悪役を倒してヒロインと結ばれて富も名声もゲット、というのがお約束だったじゃないですか。しかし、そういう「ひとり占めの美学」は、日本人が心安らぐ世界観ではないのです。

戦後の映画評論の草分けだった佐藤忠男さんは、腕っ節は強いが女っ気のない「一枚目」と、なよなよして頼りないけど女にはモテる「二枚目」とが常に分離している、歌舞伎の美学が近代以降も日本社会を規定してきたんだと、そう分析されていましたね。

これはわが身をふり返れば誰しもわかることで、いま新時代の担い手みたいにテレビで特集されて、芸能人とつきあってる青年実業家ほど、「ちやほやされてるようで、内心憎まれてる」人たちっていないでしょう? だから別れちゃったり本業で不祥事が出たりすると、そこまでじゃない話でも徹底的に晒しものにして、みんなウサを晴らすわけです。

 

――堀江貴文さんが逮捕されたとき(2006年)とか、ものすごかったですよね。逆に昭和の実業家の土光敏夫さん(東芝社長を経て経団連会長。中曽根政権のブレーンも務めた)が、「質素に奥さんとメザシを食べていました」という話は、いまもよく売れます。

與那覇:痛み分けの美学というと、一見麗しく聞こえるのだけど、それはバランスを失うと単なる「揚げ足の取りあい」になってしまう。商人と武士とで、「お前ら、金持ってないくせに」「なんだと!権力もないくせして」と言いあっていたら、とても感じの悪い時代でしょう。これは笑い話ではなくて、実際には「メザシの土光さん」の活躍した戦後の後半期から、だんだんと日本社会はそうなっていたのではと思いますね。

戦後日本の55年体制というのは、実によくできた痛み分けの美学で、「権力を持ってるのは俺たちだ」の自民党と、「憲法の理想を守るのは私たちだ」の社会党とで住み分けていたわけです。「何かで勝ったら何かで負ける」という、江戸時代の身分制と同じ構図ですね。

ところが1970年代の初頭に革新自治体が全国にできて、野党が結束すれば連合政権が作れるんじゃないかと、そういう雰囲気がわーっと広がっていった。私は歴史学者を廃業したので、厳密な立証は優れた研究者にお任せいたしますが、そのあたりの危機感から、自民党が「あいつら野党には『政権担当能力』がない」と言いはじめたように思うのです。

それは実際にはバランスの失調だったのだけど、しかし平成の日本人は逆に捉えて、「だったら、頑張って『能力』を高めてマジで政権交代しちゃえ!」という風に受けとめたんですね。

これは政治家限定ではなく、平成の社会全体に似た構図があったのではないでしょうか。「情報を制するものは社会を制す」などと言われて、次々にバズワードが繰り出されては、「すべてを身につけた『能力の高い人』なら、これからの時代なんでもできる!」という風に煽られる。

でも、実際にそういう人が「なんでも」やり出すと、痛み分けの美学の副作用でやっぱりムカつくから、「これを知らないじゃないか。あれをできないじゃないか」と揚げ足をとられて、いつの間にかバッシングされているという……。