RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する

「日出づる国の 御名の下に」…
辻田 真佐憲 プロフィール

それより、以下では「右も左もなく」の部分に注目したい。

この表現は、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」の「TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした」をほうふつとさせる。

インターネット上で「右でも左でもない」は、だいたい「普通の日本人」を自称する、右派の自己紹介文である。それゆえこの表現は評判が悪いし、今回の問題でそれに拍車がかかってしまった。

しかしだからといって、「偏っていていい」と開き直って、仲間内で「いいね!」しあいつつ、SNS上で敵対陣営と延々殴り合っていることがいいわけではない。その不毛さや閉鎖性もまた自明である。

「右でも左でもない」を目指すことは、本来よいことなのだ。だから、こう考えてみてはどうだろうか。

「右でも左でもない」とは、自分は中立なので絶対正しいと居直ることではなく、自分が偏っていることを自覚しつつ、それを是正するため、さまざまな見解を集めつつ、特定の陣営に与せず、よりまともな状態を絶えず目指しつづけていくことなのだと。

 

それでもなお愛国心を示すのであれば

そのうえで、あらためて愛国歌の問題に戻りたい。

作者は、(ビジネスなどではなく)純粋な気持ちから「HINOMARU」を作ったと述べている。それをあえてそのまま信じるとしよう。

だがそれでも、この歌は典型的な愛国歌の構造に取り込まれ、しかも不完全なものになってしまった。純粋な気持ちほど、思い込みや偏見と裏腹で、創作をするときに頼りにならないものもない。

本当に「右も左もなく」であれば、過去の事例を参照にしつつ、それとはまったく違った、「軍歌っぽい」とはほど遠い、新しくも穏当で、バランスの取れた作品を理知的に目指さなければならないのではなかったか。

たいていの国には第二国歌や愛国歌のたぐいがある。国際試合のときに気軽に愛国心を謳いたいという気持ちもわからないではない。

そもそも愛国心自体は全否定されるべきものでもない。だが、そこには毒もあるのであって、それをうまく避ける回路を作る点にこそ、創作の妙味があるだろう。

今後生まれるこの手の作品には、せめてそういう工夫を期待したい。