RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する

「日出づる国の 御名の下に」…
辻田 真佐憲 プロフィール

浮かぶ疑問

とはいえ、愛国歌として完成度が高いかどうかは別の話だ。

「HINOMARU」の歌詞をみると、古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない。

「日出づる国」は、なぜここだけが歴史的仮名遣いなのだろう(現代仮名遣いでは「日出ずる国」)。

「さぁいざゆかん」や「どれだけ強き風吹けど」「遥か高き波がくれど」などは、なぜ口語調と文語調が目まぐるしく切り替わっているのだろう。

祖国に敬意を表して「御名」「御国」とするならば、なぜ「旗」は「御旗」とならないのだろう。

……こうした疑問が何度も思い浮かんでしまう。

〔PHOTO〕iStock

現代人に向けて、親しみやすくわかりやすいように、言葉をつないだのだといわれるかもしれない。

しかし、「御国の御霊」は「御」が二度もつづいてなんとも重苦しいし、「御霊」がなんなのかよくわからない(大和魂的なもの? キリスト教で聖霊のことを「御霊」ともいうので、「あなた」と「僕ら」と「御霊」で三位一体にでもなるのかもしれないが――いずれにせよ、理解しにくいし、そこまでこだわるわりには日本語の使い方が雑すぎる)。

そのうえ、「HINOMARU」の歌詞はきわめて抽象的であって、(日の丸を除けば)愛国歌に欠かせない具体的な記号や英雄や物語に乏しく、どうしても散漫な印象を受ける。タイトルと「日出づる国」を伏せれば、ほとんど無国籍だ。

いかにメロディーが優れていても、歌詞が空虚では、愛国歌として十全な機能を果たせない。

 

作者は、愛国心を発露しようとして、愛国歌の構図はほぼ完全におさえた。だが、そこに当てはめる言葉の選択に失敗してしまった。そのため、この愛国歌がフェイクであり、空洞であることをかえって明らかにしてしまったのではないか。

もちろん、愛国歌など突き詰めれば、すべてフェイクであり空洞ではある。これはどこの国のものでもそうだ。

だがそこに、あたかも揺るぎない国民の歴史や、世界に誇るべき大義名分があると感じさせ、フェイクや空洞を覆い隠してこそ、優れた(そしてときに本当に危険な)愛国歌なのである。

その点で、一見して違和感をぬぐえない「HINOMARU」は、愛国歌としての完成度が低いといわざるをえない。