日本の出版文化を育んだ男の、「やんちゃな幼少期」

大衆は神である⑥
魚住 昭 プロフィール

そういう男だということで通ってしまう

しかし、それにしても、好雄というのは不思議な男である。無能でずぼらで、学問もなく、怪しげな商売をする厄介な存在であった。にもかかわらず、彼は村を追い出されなかった。

なぜか。おそらくは好雄の茫洋とした性格に憎めないところがあったのと、「眼がくぼむほどご苦労なすった」(田口証言)という文への同情心が村の人々にあったからだろう。

 

新宿小学校の元教員で、好雄が新宿小をやめた後も親交のあった境野源八郎の次のような談話が速記録に残っている。これは息子の清治を理解するうえでも重要な証言なので、そのつもりで読んでいただけるとありがたい。

〈(好雄は)磊落(らいらく)な男だ。人の家へ「こんにちは」とも言わずに入って来るなんてことで顔が売れて古道具屋になりましたが、これがまた大変な古道具屋で「火鉢の出物があるが買ってくれ」なんて売っていくが、また「貸してくれ」なんてことで持っていって他に売るというような具合です。(略)とにかく好雄君というのはずぼらで、おかしなことには、そういう男だということで通ってしまった。

借りを返せと言っても「飲んでしまったのだから返せないよ。ハッハッハッ」なんて大きな声で笑って、しゃあしゃあとしている。(略)奇人の方だったな。死ぬ十年前には桐生(の)中でも野間という男を知らない者はなかった。どこの家へでもすたすた入っていくという具合で、行き辛い家もなかったろうし、金がないからと言って小さくなることもなかった〉

ついでに述べておきたいことがある。それは、桐生産の絹織物が地元にもたらした経済的な潤いである。桐生では古くから絹織物の生産が行われてきた。「西に西陣、東に桐生」といわれるほど盛んで、桐生のはずれの新宿村では、渡良瀬川から引いた用水路に水車が何十基も並び、糸繰りや撚糸の動力として利用されていた。

明治以降、絹織物は日本の外貨獲得の重要な手段のひとつになった。桐生の人々は絹織物の生産や商いにかかわり、そのなかから巨額の富を蓄えた”お大尽”も現れた。好雄がとにもかくにも骨董商をつづけられたのは、絹織物の恵みにほかならなかったのかもしれない。

ずっと後の話になるが、野間清治の妹・保と、その夫・善次郎は新宿村でイタリア製の最新機を導入した撚糸工場の経営に成功し、初期の講談社の苦境を救うことになる。