日本スポーツ界はいつまで不毛すぎる「根性論」を続けるのか

日大アメフト問題から学べること
原田 隆之 プロフィール

かつてのスポーツ指導

かつて、スポーツの指導には、明確な効果がないにもかかわらず、指導者の好みや持論、思い込みによって、選手に強要されていた指導法が数多くあった。

例えば、練習中に水を飲んではいけない、投手は肩を冷やしてはいけないといった、もはや「迷信」と言われるものはたくさん指摘できる。

うさぎ跳びなどはもう誰もやっていないし、「スポ根」と呼ばれた精神論もだいぶ影を潜めてはきた。

ウィキペディアで「うさぎ跳び」の項目を見ると、「動作に苦痛を伴うため、日本のスポーツ指導者が特に好み、学校教育においても頻繁に行われていた」「苦痛を伴うため体罰としても利用された」と記載されている。

皮肉も込められているが、一面核心を突いた記述であると言える。かつては、苦しむことに価値が置かれ、効率や効果は度外視して、とにかく苦しみに耐えることが美徳であり、それに耐えてこそ一流の選手となれると考えられていた。

 

しかし、これらは、研究やデータの積み重ねによって、「効果のエビデンス」がないということで、退けられてきたのであるし、むしろ「害があるというエビデンス」がわかったものもある。

さらに、人権意識の高まりによって、選手の人権や人格を無視した指導方法への反省から、徐々に変化していったものもある。

科学的エビデンスの重要性は、医療分野から提唱されたものであるが、それが今や、社会科学、教育、福祉などの分野にも広がりを見せている。スポーツの世界も例外ではない。

新しい指導の形

新しいタイプのスポーツ指導者として、真っ先に私の頭に浮かぶのは、柔道全日本の井上康生監督である。

〔PHOTO〕gettyimages

日本柔道は、2012年のロンドン五輪では、金メダルを1個も取れず、まさにどん底を味わったが、井上監督が率いた2016年のリオ五輪では金3個へと躍進を遂げた。

この間、日本柔道の再起を託された井上監督は、練習の中身を抜本的に改革し、特に科学的な知見に基づくトレーニングを導入したという。

2年前、週刊誌のインタビューに答えて、井上監督が語ったところでは、従来の練習は、ランニング、つまり「走り込み」が中心で、「質より量」が重んじられていたという。

しかし、井上監督は練習の「質」にこだわり、海外の多種多様な格闘技を研究するなどして、その間合いや技を研究したり、減量法やトレーニング法を改革した。

これらは、日本オリンピック委員会の「スポーツ指導者海外研修員」として、2年間イギリスに留学した際に学んだものが土台となっているそうだ。井上監督は、留学中に「自分はこんなに無知だったんだな」と気づいたと述懐している。

また、何よりも旧来型の指導者と異なる点は、選手の自立、自主性を重んじ、常日頃から「自主性イコール覚悟と責任だ」と指導しているという点である。

とはいえ、非科学的、非効率的な練習を「古臭い」と却下するわけではなく、「試合は生き物だから予期せぬ場合に対応できる精神的な強さを鍛える意味では」大切であると説く。

井上監督の指導を私なりにまとめると、その特徴は、従来の精神論的な追い込み型の鍛錬一辺倒ではなく、大胆に科学的なトレーニングを加えている点である。

さらに、何より指導のベースにあるのは、選手を一人の人間と尊重した上で、選手の自主性を重んじているところである。