今からおよそ2000万年前にユーラシア大陸から分裂した日本列島。次第に大陸と日本列島の間で海底が拡大し、日本海が生まれました。なぜ、大陸が裂けて日本海ができたのか。その成因については長年議論が続いています。
このたび、その解明につながる重要な手掛かりが、伊豆・小笠原諸島西部の海底から発見されました。『Geology』誌に論文を発表したJAMSTECの平井康裕研究生(金沢大学大学院博士後期課程)に話を聞きました。
日本海や日本列島はいつごろできたのか
はるか昔、日本はユーラシア大陸の一部でした(図1)。ところがおよそ2000万年前に大陸の縁が東西に引き裂かれ、日本列島の地殻は大陸から離れました。やがてその裂け目は海に達し、中には海水が入りました。これが日本海のもとです。
海底はゆっくりと拡大し、それに伴ってできた割れ目では下からマグマが噴き出して火山活動が行われました。マグマは海底や地上へ噴き出ると溶岩と呼ばれます。その溶岩は冷え固まると岩石となり、堆積していきました。
やがて西南日本は時計回り、東北日本は反時計回りに回り、現在の逆「くの字」型の日本列島の原型ができました。1500万年前ごろに、日本海の拡大は終わりました。
──日本列島は、もともと大陸の一部だったのですね。
しかし、「なぜ大陸の縁だけが引き裂かれて、日本海ができたのか」という議論は現在も決着がついていません。様々な説の中で有力視されているのは、アセノスフェアと呼ばれる高温で柔らかいマントルが、数百~数千㎞もの巨大な流れとなって大陸地殻の下に流入したことが一因となり、大陸地殻が東西に引き裂かれたという考えです(図2)。
──なぜ、アセノスフェアの流入が考えられたのですか?
玄武岩という岩石に、その痕跡があったのです。大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込んでいくと、次第に高くなる温度と圧力を受けて、沈み込んだ海洋プレート(沈み込んだプレート部分はスラブという)から水を始め様々な物質が絞り出されます(図3)。その水によってマントルは溶けやすくなり、マグマができます。マグマは上昇して、やがて海底や地表へ噴き出て冷え固まると岩石になります。
(『地質学1 地球のダイナミックス』 (岩波書店 平朝彦)による図を一部改変)
この時、冷え方によって岩石の種類が変わります。中でも玄武岩はその源であるマントルに近い物質を留めやすい性質があるので、玄武岩からマントルのことを探ることができるのです。日本海については、日本列島の日本海側などでとれた玄武岩の分析から、マントルが高温だったことが示されました。
──マントルが高温、すなわちアセノスフェアということですね。実際にその流入も確認されたのですか?
日本海での高温アセノスフェアの流入は1500万年前ごろに終わり、日本海の拡大も止まっています。ですから現在の日本海でその検証はできません。検証するには、現在高温アセノスフェアが流入しているだろう場所を調べるしかありません。そこで私たちが注目したのが、伊豆諸島西部の海底です。
伊豆諸島西部の海底は、今まさに拡大中
──伊豆諸島西部の海底は、どのような場所なのですか?
日本海のように、海溝から海洋プレートが沈み込む背後に位置する盆地状のくぼみを背弧海盆と呼び、伊豆諸島西部の海底はその背弧海盆の一部です(図4)。伊豆・小笠原弧から太平洋プレートが沈み込み、青ヶ島リフト、明神リフト、スミスリフトとよばれるくぼ地があります。海底では火山活動が行われ、今まさに地殻が引きちぎられつつあります。今後は日本海のように海底が広がっていくと考えられています。
──まさに、日本海の成因解明を目指すのに適している場所ですね。
はい。ここで玄武岩を採って分析してマントルについて調べれば、高温アセノスフェアとの関連が見えるかもしれません。そこで試料を採るために、東海大学の海洋調査研修船「望星丸」に乗船しました。
──どのようにして試料を採ったのですか?
岩石の採取にはドレッジ採泥という手法を使いました(図5)。ドレッジ採泥はケーブルでつないだドレッジャーと呼ばれる金属製のかごを、海底で引きずり岩石などを集める道具です。

採取地点は、青ヶ島リフト、明神リフト、スミスリフト周辺に点在する小さな海丘です。噴火でできた海丘ですので、転がった岩石に加えて、流れ出て冷え固まった溶岩の露出も期待されました。そうして採れた試料が写真1です。

船上にあがった試料はその場で、種類や大きさ、中に入った鉱物を見てより分けました。そして実験室に持ち帰って分析しました。