構造主義とマルクス主義の関係性——『はじめての構造主義』のころ

現代新書 特別エッセイ「自著を語る」
橋爪 大三郎 プロフィール

構造主義は、科学である

森嶋通夫『マルクスの経済学』(1974年)が、この謎を解明してくれた。

森嶋は置塩信雄の業績ほかを参考に、『資本論』を前提の明示された数学的モデル(レオンチェフの投入産出分析にもとづいた産業連関モデル)として再構成し、『資本論』の結論が成立する条件を明らかにした。

サムエルソンが着手して、むずかしくて途中で投げ出した仕事をやりとげたのだ。その条件は、現実の経済ではとても満たされそうにない、特殊なものだった。社会主義計画経済がうまく行くはずがないことが、論証されたと私は思った。

私が構造主義と出会ったのは、『マルクスの経済学』が出る前だったから、まだ頭のなかがモヤモヤしていた。大学院の試験に不合格となって留年し、時間の余っていた1971年の夏休みに思い立って、レヴィ=ストロースの『構造人類学』を英訳で、第一章から順番に読んでいった。日本語訳がみすず書房から出る前のことである。

ちょうど吉本隆明が『展望』に「南島論」を発表して、レヴィ=ストロースに言及していたのに刺戟されたのだと思う。

さて実際に、『構造人類学』を読んでみると、ありがちな構造主義の解説文のたぐいとは、まったく違った印象を受けた。なじみのない思考の展開と、文体。それまで私が読んできたマルクス主義系統の文章とはまったく異質で、新鮮である。解放感がある。

なぜだろうとふしぎに思いながら、読んでいくうちにわかった。

構造主義にはドグマがない! こう考えなければならないという、証明ぬきの前提がない。そのかわりに議論は、方法(二項対立がどうのという、要するに技法)と、データ(人類学者が現地で調べてきたエビデンス)のふたつだけでできている。構造主義は、科学なのである。

 

腑に落ちるまでに20年

という具合に、頭がだいぶ整理されたが、では構造主義と、マルクス主義の関係はどういうものか。

構造主義は、現代社会を考える学問、社会学などにとって、なにか役に立つのか。

こういう疑問への答えが、『構造人類学』や、レヴィ=ストロースのほかの書物(『親族の基本構造』や『神話論理』)に書いてあるわけではない。のどにひっかかったトゲのような異和感のまま、それを自分に腑に落ちるかたちに解消するのに、ずいぶん時間がかかった。

『はじめての構造主義』の冒頭に、ジーンズの広告のエピソードに続いて、レヴィ=ストロースとサルトルの論争が紹介してある。

もともと社会主義者(というか、マルクス主義者)だったレヴィ=ストロースは、第二次世界大戦の敗戦や亡命体験をさかいに、マルクス主義なんかおかしいと思うようになった。そこで、方法論に徹して、人類を科学的に考える「人類学」に身を置き、最初はそれを応援してくれていた旧知のサルトルと、論争になったのである。

構造主義とマルクス主義の関係は、私のなかで腑に落ちたからここはさらりと書いてあるが、腑に落ちるまでに20年かかっている。

わかりやすく、さらりと書くことは、世の中の時間とエネルギーの節約になる。節約したぶんを、未解決のもっと大事な問題の解決に向けるべきなのである。未解決の大事な問題は、いくらでもある。

講談社現代新書がわかりやすい書物を多く出版しているのは、こういう意味で、たしかに世の中に貢献しているのだ。

出典:『講談社現代新書 1964~』

橋爪大三郎(はしづめ だいさぶろう) 
1948年生まれ。東京工業大学名誉教授(社会学)。講談社現代新書では1988年刊行の『はじめての構造主義』の他に『はじめての言語ゲーム』『正しい本の読み方』、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『鄧小平』『げんきな日本論』がある。