なぜ日本の演劇は「大げさ」「わざとらしい」と感じるのか

現代新書 特別エッセイ「自著を語る」
平田 オリザ プロフィール

岸田國士戯曲賞受賞者を続々輩出

はたして、『演劇入門』というはったりが効いたのかどうか、この本は薄く長く読み継がれ、いまも版を重ねているという。まるで風物詩のように、忘れた頃に重版の報せが届く。ありがたいことである。

この間、韓国でも本書の翻訳が出版され、いくつか、大学の授業でも使われているらしい。この先、台湾での出版の計画もあると聞いている。

2012年、ソウル大学で特別講義をした際、教壇を降りると一人の学生が駆け寄ってきて、「先生の『演劇入門』を読みながら戯曲を書きました。ありがとうございます」と言われた。私は少し照れて、「あの本の通りに書くと、プロの劇作家としては成功しませんよ」と答えた。

しかし実際には、ここ数年、本書に書かれた戯曲創作プログラムの経験者から、岸田國士戯曲賞受賞者を立て続けに輩出している。それは、教育者としては、何より誇らしいことである。

 

新しい演劇のスタイルは、いつも辺境から

この15年の間に、カナダ、フランス、イタリアや東南アジア各国の大学で、同様に、戯曲創作の方法論を試す機会にも恵まれた。

興味深いことに、対話と会話の違いについて語り、他者を登場させて「対話」を起こす技術を説明すると、欧米のいずれの国の学生も、「それはその通りだが、そんなことは考えたこともなかった。そのように教わったこともなかった」と言うのだ。

欧米では、「対話」は空気のように存在し、その空気を前提にして近代演劇は生まれた。だから、それらは、あらためて教えるべき対象ではなかった。

新しい演劇のスタイルは、いつも辺境から登場する。シェイクスピアの時代のイギリス、イプセンの時代のノルウェー、チェーホフの時代のロシア、いずれも当時のヨーロッパからすれば、周縁に位置するところから、新しい戯曲のスタイルは生まれている。

それはおそらく、文明の中央にいるものには、その文明の真の姿を相対化することはできないからだ。だとすれば、先の「哀しい三段論法」の中に生きる日本の劇作家が書いた『演劇入門』が、世界の演劇界の中で、多少の価値を見いだされることがあっても不思議ではない。

『演劇入門』を出版した1998年は、私の戯曲がはじめてフランスに紹介された年でもある。『演劇入門』が版を重ねた十五年は、すなわち私がフランス演劇界と、一人格闘を続けてきた十五年でもある。

闘いはまだ道半ばで、欧州演劇の壁は気が遠くなるほどに厚い。それでも『演劇入門』という一冊の本と、そこに書かれた教授法が、その巨大な壁に小さな穴を穿つ一撃になってきたなら、劇作家として、これほどの幸せはない。

出典:『講談社現代新書 1964~』

平田オリザ(ひらた おりざ) 
1962年生まれ。劇作家・演出家。東京藝術大学特任教授。講談社現代新書では他に『演技と演出』『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』がある。
現在、東京・吉祥寺シアターにて、2年ぶりの新作『日本文学盛衰史』が好評公演中(7月9日まで)。