右半身麻痺でも弾き続ける「左手だけの81歳ピアニスト」

歌い続けた西城秀樹のように
なかの かおり プロフィール

「困難や苦労はなかったんです」

「日本はいいホールが多く、お客さんが熱心ですね。ちゃんと仕事しないと、と思います。沖縄や北海道も行きますし、この2週間で8回の演奏会があって青森や福岡に行きました」。舘野さんは、周りに演奏会をセットされるのではなく、自らやりたい内容を企画しているという。81歳で年に50回の舞台。そのやる気と行動力に驚く。

自在に表現してきたピアニストが、右手を使えなくなるのは、どんなに悔しい思いがあったのか。どうやって乗り越えてきたのか。質問すると、舘野さんは「いつも、すごい困難や苦労の物語があったんじゃないかと言われるんですが、本当にそういうものはないんですよ。倒れた後も、不思議と落ち込まなかったんです」と穏やかに答えた。

 

もうピアノは弾けませんよ

もともとの前向き思考も大きかった。「最初の1ヵ月はほとんど寝たきりです。トイレも自分で行けず、流動食で話もできませんでした。だから、リハビリが始まってとても楽しかった。患者の意思によるのではないでしょうか」

ドクターは妻のマリアさんに、もうピアノは弾けませんよ、今までのキャリアや生活を続けられません、と告げていた

「マリアは音大で教えているし、生活を背負って静かな生活を送ろうと思っていたらしいです。私もドクターからはっきりは言われないけれど、ダメだというのが伝わってきたリハビリを始めて世界が開いた感じがします。周りの患者は受け身でしたが、私は積極的でした。スタッフが5人ぐらいで、手足を動かす、体全体を動かす、話す、記憶を取り戻すなど受け持ち、希望すれば3つぐらいできました」

中でも舘野さんは、言葉と記憶を取り戻すリハビリがおもしろかったという。心理学者が題材を話して、自分が繰り返す。自分も話すうちに、考える感覚が戻ってきた

他はじゃがいもの皮をむいたり、物を移したりの作業もやってみた。1ヵ月経って、ノートとペンを与えられ、思い出せる花や動物の名前を書いた。「5つぐらい書くとおもしろくなくなってきて。ある日、作曲家の名前を書いてみたら20人ぐらい書くことができました。アルファベットのAからDまでで20も」

それから日記を書き始め、入院中にずっと続けた。「今、日記を読むと当時の自分は楽天的だなと思います。嫌だとか苦労しているとかがない。できなかったことができるようになった喜びが書いてありました

リハビリが楽しく回復が早いので退院を勧められたが、舘野さんは「リハビリをもっと学びたい」と入院を延長してもらった。「リハビリの先生にも楽しかったと言われました。右半身が全く動かないから、しゃがんで立てなくなった時も、おかしくて笑っていました」

ピアノに向かっても弾けない

左手のピアニストとしてステージに立つまでには、2年の時間が必要だった。

「病院から帰り、まずピアノを弾いてみましたが弾けません。1日1時間ぐらい、ピアノに向かっても右手は全く進まないし、2カ月位でやめてしまいました。半年間は週3回、病院のタクシーを使って無料のリハビリに通いました。このような状況でも、絶望するとか考え込むとかがなかった。少しの間、落ち込んで、すぐしょうがないなと思いました」

舘野さんに声をかけてくれる仲間はいた。退院して半年の時に、音楽監督を務めていたフィンランドの音楽祭で、友人のチェリストと一緒に演奏した。簡単な曲を10分ぐらいだった。