シリアで23年暮らし現地結婚した私が感じたこの国の「寛容と疲弊」

故郷に戻れない人々、いまだ遠い解決
山崎 やよい プロフィール

アレッポは「疲弊」した

しかし今、国は、あまりにも荒廃した。

多くの人々が国外に難民として逃れた。

国に残った人々も、国内で安全な場所を求めて移動を余儀なくされるだけでなく、政府軍による徹底的な街の破壊後に、強制的な集団国内移住を強いられている。

私の街、アレッポでもそれは起きた。

2016年12月にアレッポ市は政権側に「奪還」され、最後まで抵抗を続けたアレッポ市東部の多くの住民が、この「奪還」に伴い、他の地域への強制移住を迫られることになった。

移住用のバスに乗る前であろうか、街への別れに感じて男泣きに泣く男性の写真が、今でも目に焼き付いている。

 

「奪還」の後、市内への「空爆」はなくなった。

外国に避難していた一部の人々の中には、「様子」を見に帰る者もいた。私の友人も、家族を避難地に残して数人が一時的にアレッポに帰っている。避難地では職もなく、せめて故郷の街で生活再建ができないかと考える故の帰還である。

彼らのうちの一人は、アレッポを離れる前、妻と2人の息子が「テロリスト」であると訴えられた。穏健なことで知られる一家であり、彼の妻は身障者でもある。

なぜそのような訴えがなされたのかわからぬまま、容疑を取り下げるために、当局に多大な金を払うことを余儀なくされ、住んでいた家を売った。したがって、今はアレッポ市内の親戚の家に居候をせざるを得ない。紛争の前から周知であったシリア政府から示される不条理は、さらに今、重く市民にのしかかる。

〔PHOTO〕gettyimages

彼から聞くアレッポの状況は「疲弊」という一言に尽きる。

壊滅的な破壊を受けたアレッポ旧市街や東部の激戦地区の惨状は凄まじいもので、建物などの復旧は未だにほとんど手付かずだ。一部で立て直しの動きはあるというがその場合は、彼が知る限りでは、ほとんどが個人の努力でなされているらしい。

一方、今まで比較的平穏であったはずのアレッポ西部の地区では、最近、砲撃の応酬が活発化し、彼の元の家の近くにも砲弾が落ち、近くのスーク(市場)周辺にはスナイパーが出没する。

「アレッポに帰って来てはみたが、何が起こるのか、誰が何をしているのか、全くわからない」と彼は嘆く。

この友人の場合は、とりあえず国に戻ることができた。

しかし戻れない者はあまりにも多く、その望郷の念は、誰も受け止めることができない。

紛争の「解決」とは何かを誰も見極めることができないまま、別の街がアレッポと同じストーリーを、今日もまた辿ろうとしている。